それでは、本日の本題に入っていきたいと思います。
お手元にお配りした青っぽい印刷の市民報告をご覧ください。
2ページをご覧ください。
ここにある目次のうち、黄色い文字で書かれた項目が、今回の
特だしテーマになります。
あとの白い項目は、これまでのデータに36ステージのデータを
付け加えて整理したページです。
今日は、時間の制約もありますので、この特だしテーマを中心に
ご報告させていただきたいと思います。
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まず、9ページをご覧下さい。
36ステージの終了時までの約18年間に、皆さんが調査して
インターネットで報告いただいた調査件数は、18,458件に及びました。
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その下の10ページをご覧ください。
表の右下にその18,458件の数字に赤い線が引かれていると
思いますが、そのうち堀川で調査していただいた件数が
その横、16,418件、そして新堀川で調査していただいた件数が
2,040件になっています。
新堀川に関しては、これまで調査件数、つまりデータ数が不足していて、
なかなか統計的な分析ができなかったため、皆さんにしっかりした
ご報告ができませんでした。
しかし、調査件数が2,000件を超えてきたことによって、
分析ができるようになってきました。
そして今回その分析を試みたことによって、非常に興味深く、
価値ある分析結果が出てきましたので、それをこれから皆さんに
ご報告させていただきます。
新堀川が、白濁がひどく、臭いもあって、なかなか改善が
進まない状態であることは皆さんもご存じの通りですが、
その実態や理由については、これまでわかりやすく
説明できるデータがありませんでした。
それが、今回の分析により、かなりはっきりとわかってきました。
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まず、新堀川という川について、新堀川が生まれ、
今の姿になった経緯について振り返ってみます。
72ページをご覧ください。
少し読んでみます。
浸水対策のために護岸整備・河床掘削が実施された新堀川
新堀川は、明治時代に洪水の発生防止とともに、船舶の運航と
下水処理の受け皿とするため、精進川を現在の川筋に付け替えて
改修した人工河川です。
伊勢湾台風後には 災害復興で全川の護岸 回収が行われました。
また 下流部の雨水を 河川に自然排水できない区域には
ポンプ所を設置するなど 浸水対策が講じられました。
しかし 流域の都市化の急激な進展に伴い。 雨水の流出量が
増大した結果 新堀川の流下能力が不足し 流域の広範囲で
浸水被害が発生するようになりました。
このような背景から新堀川では 昭和52年(1977年)から
河道改修に着手し、主に護岸整備と河床掘削
が実施されました
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67ページに戻ってください。
黄色い四角のところに書いてありますが、
この護岸整備と河床掘削の工事は、平成20年(2008年)に
完了して新堀川が今の姿になったことがわかります。
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さて、河床掘削のイメージ図がその下にありますが、
もう少し拡大したものが72ページにありますので
もういちど72ページに戻ってください。
左側が 昭和51年(1976年)河床掘削の前の
川底のイメージです。
浸水被害が出ないように、新堀川が流すことのできる流量を
確保するために、右の図のように1977年から2008年まで
約30年かけて、下流から順番に川底を掘り下げていったことが
わかります。
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73ページをご覧ください。
左側の図は、大雨が降った時のイメージです。
護岸整備と河床掘削によって、流水断面が増加し、
より多くの雨水を流せるようになり、大雨による浸水被害が
減少するという良い結果がでました。
一方でその弊害も出てしまいました。
右側の図をご覧ください。
雨が降っていない時の新堀川のイメージです。
水面に近い上の方の水は、名古屋港の潮汐で
水位が変化します。
しかし干潮時の水面より下の部分は、河床を下げたことによって、
水があまり動かない水域が増加してしまいました。
これによって新堀川の水の汚れ方に変化が生じてきました。
今、新堀川の、特に上流部では、水の色が白っぽく濁る
いわゆる白濁、そして卵の腐ったようなにおい(腐卵臭)が
問題になっています。
これがこの河床掘削による水の汚れ方の変化と関係している
ということは、これまでも専門家の皆さんによって指摘されて
いたのですが、今回、私たち堀川1000人調査隊のデータ、
つまり市民があつめたデータによって、はじめてこれが
裏付けられた、というのが今からご説明する内容です。
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97ページをご覧ください。
まず新堀川の橋の名前が右側に書いてあります。
このうちの堀留水処理センターから宇津木橋までの最上流区間と、
その次の宇津木橋下流から立石橋までの上流区間のにおいについて、
皆さんが調査したデータを分析した結果がグラフにしてあります。
このあと話を分かりやすくするために、最上流区間と、
2番目の上流区間と表現しますのでご了解ください。
円グラフをご覧ください。
左側の最上流区間は、平成25年(2013年)1月1日から
令和6年(2024年)12月31日までの12年間に
皆さんが調査した782件のうち、
前日・当日ともに雨の降っていなかった
439件のデータを抜き出して、においについて
グラフにしたものです。
ひどく臭う(レベル5)から、ややひどくにおう、におう、
やや臭うというレベル2までを足すと、なんと72%
(100回のうち72回)の割合でにおいを感じており、
しかもそのうち19%、つまり約2割がレベル5のひどく臭う、
という報告になっています。
一方、2番目の上流区間、つまり宇津木橋下流から立石橋
の間では、45%がにおいを感じ、におわない(レベル1)が
55%となっています。
またレベル5とレベル4のややひどく臭うまでを足しても
11%となっており、最上流部と2番目の上流部では、
においに差があることがわかります。
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ただ、その下の98ページをごらんください。
円グラフは、においの種類について分析したものです。
臭いの種類まで報告されていたデータは、最上流の
上の円グラフでは325件、そのうちのなんと、81%が腐卵臭、
卵の腐ったようなにおい、つまり硫化水素の臭いであったことが
わかります。
2番目の上流部では、調査数253件のうち腐卵臭は40%、
それに対しどぶ臭42%、ヘドロ臭16%と、少し臭いの種類が
違うことがわかります。
しかし、これを時系列に直してみると、ちょっと違うことが見えてきます。
それが左の棒グラフです。
上の段の最上流部では、
平成25年(2013年)ころは83%が薄橙色のどぶ臭でしたが、
平成28年(2016年)頃から黄色い腐卵臭、つまり硫化水素集が
増加傾向となり、
令和2年(2020年)以降はなんと80%が硫化水素集に
なってきていることがわかります。
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硫化水素集が発生するときは、
水の色にも白濁が見られることが分かっています。
100ページをご覧ください。
上の段の最上流部で見られる水の色は約6割が、
硫化水素集が感じられる時によくみられる白濁系の色を
していることが分かります。
時系列的にみても、平成28年ころから令和6年にかけて、
白濁系の色が増加傾向であることが読み取れるかと思います。
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ちょっと戻りますが、68ページをご覧ください。
ここに平成28年11月18日(2016年11月18日)の
朝日新聞の記事が掲載してあります。
この記事は、堀川1000人調査隊のホームページに
スクラップしてあったものをここに貼りつけたものです。
右上のタイトルの横を読んでみます。
「名古屋市を流れる新堀川、主に夏場に悪臭が発生することがあり、
川沿いの住民からの苦情も出ている。
ところが悪臭発生のメカニズムはよくわかっていないという。
市は今年度から原因究明のための調査に乗り出した」
次の段のところに書いてあるのは、
「中区の記念橋から見える新堀川上流、白く濁ったり
黒い浮遊物が漂ったりと、日ごとに姿を変える。
記念橋から約250m南の川沿いに住む自営業女性は、
「ここ1〜2年でにおいがひどくなった」
その次の段落では別の女性が
「雨が降った後に晴れた日は臭くなる。何とかしてほしい」
この新聞記事から、なにがわかるかというと、
実際にこの付近(つまり記念橋近く=新堀川の最上流部)で
住んでいる人が、平成28年の11月時点で、1〜2年前から
においがひどくなった、と感じていることです。
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先ほどの98ページに戻ってください。
黄色い棒グラフ、つまり腐卵臭が増加傾向に入った
平成28(2016年)年ころの時期と見事に一致しているのです。
もうひとつ、私たちが今回気が付いた大事なことがあります。
98ページの右側の円グラフは、2番目の上流部、つまり
宇津木橋の下流から立石橋の間の区間のにおいの割合について
しめしたものです。
これを見ると、うす橙色の「どぶ臭」が42%、黄色の腐卵臭は40%
になっていて、最上流部よりも腐卵臭が少なく見えます。
しかし、これを時系列でみると違うことが見えてきます。
左側の棒グラフをご覧ください。
令和2年(2020年)ころから腐卵臭の割合が一気に増加し、
最近では5割を超えてきて増加傾向にあることがわかります。
上の最上流部のグラフと比べると、最上流部より5年ほど遅れて、
2番目の上流部でも腐卵臭が増えてきているのです。
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これが何を意味しているのか。
98ページの二つの棒グラフの黄色の部分を見比べてみてください。
平成26年より以前は、私たち調査隊が記録したにおいは、
最上流部、2番目の上流部ともに、ほとんどが「どぶ臭」でした。
しかし平成28年ころから、最上流部では、それまでに
あまり感じられていなかった硫化水素臭にかわってきています。
そしてその時期は、河床掘削が終わった
平成20年(2008年)から約8年たったころからはじまってきて、
それが今も悪化傾向にあります。
一方、下のグラフの2番目の上流部では、最上流部から約5年遅れて、
硫化水素臭を感じる割合が一気に増えてきています。
つまり、川底の掘削が終わって、浸水被害が少なくなった
2008年ころから約8年間は、新堀川では合流式下水道から流出する
汚れた水の影響と思われる「どぶのにおい」はあったものの、
硫化水素臭はほとんどなかった。
しかし、工事完了後、約8年たったころから硫化水素臭が増加傾向となり、
最近ではそれが非常にひどくなってきている。
さらにまた、最上流部から5年遅れて、2番目の上流部でも
硫化水素臭が一気に増え、今も増加傾向にある。
新堀川は、最上流部から始まって、硫化水素臭を感じる区間が
2番目の上流部に広がってきてきている、ということが、
このグラフから読み取れるのです。
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単純に考えて、最上流部は名古屋港から見て
入江の一番奥まったところにあり、干潮満潮の潮汐で
最も淀みやすい場所です。
その場所から硫化水素臭がまず発生するようになり、
それが次第に下流側に向かって広がってゆく、というのは
素人の私たちにも理解しやすいことだと思います。
皆さんが集めてくださった2,000件を超えるデータによって、
近隣の住民の方から悪臭のクレームが出始めた時期、
つまりあの新聞の記事の時期と、どぶ臭から硫化水素集に
かわってきた時期がほぼ一致したこと。
さらにはまた、このデータから、このまま進めば
この硫化水素臭のする水域はさらに下流に向かって
進んでゆく可能性があるかもしれないこと。
それが今回の私たちのデータ分析から得られた
貴重な成果ではないかと思います。
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どぶ臭が硫化水素集にかわることが、新堀川の印象の悪化に
直接つながるかどうか、という点については平成19年4月(2007年)
から始めた私たち堀川1000人は、それ以前のデータを持っていない
ので何とも言えません。
また当初は、木曽川導水の効果を検証する目的で
この活動を始めたため、新堀川のデータもほとんどありませんでした。
しかしながら、さっきの新聞記事にある通り、2016年ころから
地域の住民が悪臭に悩まされるようになった、というのは、
あきらかにどぶ臭から硫化水素集にかわってきたからだと思われます。
悪臭対策=流下水素臭対策と考えてもいいのではないかと、
この記事からも考えられます。
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それでは、新堀川をきれいにするにはどうしたらよいか。
まず、新堀川の汚れ、悪臭のメカニズムについては、
2016年当時からくらべて、私たちもかなり考え方の整理を
進めてきました。
83ページをご覧ください。
薄橙色のホリゴンの吹き出しを読んでみます。
新堀川は上流端まで 川底が深いので水が入れ替わりにくく
特に 底質の水は常時 停滞しやすい と考えています。
このため 上流の区間は 主な水源となっている
水処理センターからの放流水 (年間を通して温かい) と
雨天時に流出する合流雨水等に由来する 浮遊物
(有機物を含む)が川底に沈降、堆積しやすい環境になっており
水中と底質中の貧酸素化が進んでいると考えられます。
ここでは硫化物がたくさん生成され、白濁や悪臭
(腐卵臭)などが
発生し 水の汚れの印象が悪化する要因になっていると考えています。
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このメカニズムに対して、正直まだ有効な具体策を
提言するまでに、わたしたちは至っていません。
しかし今後の対策性の方向性を整理して、
新堀川の報告を終わりたいと思います。
69ページをご覧ください。
オレンジ色の四角の部分です。
今後の対策の方向性の整理
最上流の堀留〜宇津木橋間で、白濁減少と腐卵臭を
減らすための対策を集中的に実施する。
それには、硫化物が生成しやすい環境を
改善しなければならないこと。
その対策の方向性
有機物の流入の削減
(合流式下水道の改善となるのでしょうか)
川底の貧酸素化の改善
水温が高くなりにくい環境に改善
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.新堀川についての報告をしめるにあたって、
新堀川の上流部の写真をご確認ください。
74ページをご覧ください、これは昨年11月15日の大潮の日に、
堀留の水処理センターから、下流に向かって、鶉橋、記念橋、
宇津木橋 と順番に撮影していったものです。
記念橋、宇津木橋付近でかなり白濁がひどくなって
いるのが分かると思います。
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93ページでも説明しているのですが、
この時間帯は大潮の下げ潮時間帯です。
上流の白濁は下流に向かって広がる傾向があります。
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75ページをご覧ください。
富士見橋、大井橋と白濁が続いていきますが、
向田橋から下流ではだんだん赤みを帯びた色に
変わっていることが分かります。
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76ページをご覧ください。
法螺貝橋、立石橋付近までは白濁に赤っぽい色が混じって
いますが、新堀田橋、新開橋にくると白濁が消え、
赤い色に変わってきています。
この赤い色は、想像ですが、植物性プランクトンに
由来するものではないかと思われます。
写真では臭いが写りませんが、新堀川の最上流部から
下流に向かっての現状がよく表れているのではないかと
思います。
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それでは次の報告に移ります。
113ページをご覧ください。
昨年10月25日に実施した、第20回堀川一斉調査の
結果についてご報告します。
この日の調査は、前の年の大潮の日に、
第18回の一斉調査の結果と比較するために、
あえて小潮の日を選んで実施しました。
しかし結論から申し上げます。
右上のホリゴンの吹き出しにある通り、
狙った調査の目的は達成できませんでした。
その代わり、別の成果が得られました。
右上のホリゴンの吹き出しを読み上げます。
今回の調査で大潮時 (第18回)と小潮時(第20回)の
水の汚れの印象などの数値化はできましたが
今回の調査時に2日前の降雨(23日 25mm) による
白濁の影響が確認されました。
このため 潮位の変化の違いによる比較評価はできませんでした。
今回の調査によって 庄内川暫定導水などの
上流からの水源が白濁した水を下流に流す様子を、
市民の目で観察、記録することができました
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どういうことかというと、写真を見ていただくと
よくわかると思います。
115ページをご覧ください。
一斉調査は10月25日でした。
左側はその前日10月24日の写真、
右側は調査当日10月25日の写真です。
まず矢田川の北側にある旭橋の写真、
その下の猿投橋上流の写真を見ていただくとわかるのですが、
調査の前々日、10月23日にまとまった雨が降ったために、
庄内川からの導水がかなり白濁していました。
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116ページをご覧ください。
猿投橋⇒志賀橋⇒黒川橋と順番に見てゆくと、
24日にはまだかなり白っぽく濁りが残っていました。
25日になると少し濁りが薄くなってきていました。
庄内川の導水自体も濁りが薄まったこと、
そして後ろから少しずつ希釈しながら
白っぽく濁った水塊を下流に流してゆく様子が見られました。
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117ページをご覧ください。
北清水橋、田幡橋、城北橋では、24日から25日にかけて
かなり白濁が薄くなっていることが分かります。
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118ページをご覧ください。
ここからは24日の写真はありません。
すべて25日の写真です。
中土戸橋から堀端橋、筋違橋と下流に行くにしたがっ
て次第に白濁が濃くなってゆきます。
鷹匠橋から景雲橋は、ほとんど真っ白です。
上流にあった白濁した水塊が、庄内川の導水によって
下流に向かって流されてゆく様子です。
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119ページをご覧ください。
五条橋から中橋まではまだ白濁が強いですが、
納屋橋から天王崎橋まで来るとかなり白濁が薄まってきて、
新洲崎橋では白濁はほとんど見られませんでした。
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もうひとつの参考画像があります。
120ページをご覧ください。
右の二つの写真は10月24日の錦橋と
10月25日の錦橋の写真の比較です。
23日に降った雨によって猿投橋付近で
かなり白濁していた水は、24日には錦橋には
まだ下がってきていませんでした。
ところが25日には、白濁した水塊が錦橋まで
下りてきています。
この日は小潮で水位の変化がとても小さく、
したがって潮の干満によって生ずる川の水塊の水平移動は
極めて小さい日です。
白濁した水塊を流す力は、庄内川の導水以外にありません。
実はこのように、庄内川の導水が水塊を動かす力、
どのあたりまで希釈しながら運ぶ力があるのか、
というのを市民の目で確認し、写真で記録したのは、
これが初めてのことです。
庄内川の導水が、水塊を運ぶ力は、潮の干満による影響が
極めて小さい小潮の日だったからこそ、天王崎橋付近まで
運んでゆく力がある、ということが、今回23日に
たまたま雨が降ったことによってわかってきました。
大潮の日と小潮の日の違いを調べるという狙いは
残念ながら達成できませんでしたが、
思わぬ成果が得られたということになったわけです。
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なお、2007年から2010年に実施された
3年間の木曽川導水実験において、
その効果は納屋橋から松重橋付近まで
効果が見られたという報告があります。
今回の庄内川の導水が淀んだ水塊を運ぶ力に加えて、
木曽川の導水が実現した場合の、木曽川の導水が
運ぶ力が加わると、希釈効果もあわせて、かなり
大きな成果が期待できると感じました。
以上で、一斉調査についての報告を終わります。
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次に、堀川上流部で名古屋市が実施してくださっている
年2回の除草についての報告です。
125ページをご覧ください。
私たちは2021年の秋に開催した第31回調査隊会議で、
今後名古屋市が水辺を除草して、 私たち市民が、その後の
浮遊物の変化を確認することについて申し合わせました。
そして2022年度には名古屋市が水辺の除草を実施、
特に私たちのお願いした、田幡橋から名城公園の間の
ヨシの刈りこみを実施していただきました。
また2023年度と2024年度には、年2回の除草を
実施していただきました。
その除草の継続によって、改めて確認されたその効果
についてご報告します。
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126ページをご覧ください。
除草の狙いは、そこに書かれている、浮遊物の減少、
水質・底質の改善、水辺景観の改善にありましたが、
市民調査の結果、薄橙色の囲みにあるように、
除草の効果があらためて確認されました。
あわせて、ごみの回収、樹木の剪定、伐採、除草などの
維持管理がしにくい現場であるという 現状の課題も
明確になってきました。
それは左下の写真でもわかるのですが、
護岸が急傾斜で職人さんが安全に作業することが
難しい形状になっているために、除草時に枯れたヨシなどが
回収しきれずに水面に落ちてしまい、長期間にわたって
浮遊を続けているのが確認されました。
またこれらの枯草がごみキャッチャーで集積し
それが上げ潮で逆流、遡上してゆくうちに、
空き缶やペットボトルを取り込んでしまい、
ますます回収が難しくなっている現状、
そして枯れたヨシなどは、いずれ川底に沈降して
汚れの原因となることも見えてきました。
それが右下の写真です。 |
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また一方で2023年と2024年に、年2回の除草を
していただきましたが、1回目の除草をする時期によって、
その後に違いが出てくることもわかってきました。
127ページをご覧ください。
2023年は、7月に第1回の除草をしていただきました。
2024年は、6月に第1回の除草をしていただきました。
その結果わかったことは、6月に除草した場合の方が、
そのあとの夏・秋の雑草の成長が著しいように見えたことです。
早く刈りすぎると、すぐに次がのびてきてしまうのか?
効果的な除草の時期を考えるため、これからも継続的な
観察と記録が必要であると考えています。
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次に、川底の環境を改善するためのヒント、
というテーマでご報告します。
131ページをご覧ください。
堀川では、2015年と2017年の2回にわたって
桜橋〜幅下橋の間で、ヘドロの上に砂や石炭灰を
かぶせる「覆砂」による浄化実験を名古屋市が実施し、
それを私たち調査隊が観察して効果を検証してきました。
その後、現在まで9年以上が経過しましたが、
この間、護岸工事によって覆砂されていた場所も
護岸が改修されるとともに、覆砂が消失してきています。
そこで現時点までにわかってきた覆砂の成果、課題等を
まとめてみました。
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133ページをご覧ください。
覆砂を実施した場所は、覆砂を実施する前は、
足がズボっと埋まってしまう程の真っ黒なヘドロがあり、
干潮の時にはそれが露出して、ヘドロの悪臭が
発生していました。
覆砂は、水際から約3m、暑さ30pのヘドロを
砂または石炭灰に置き換え、被覆をしました。
その覆砂を実施してから9年以上が経過しました。
その結果です。
1) 当初私自身も疑っていたのですが、砂をかぶせても、
またすぐにヘドロが上に積もってしまうのではないかと
心配していました。
しかし、被覆した面の低下(下がってしまった)という
場所は見られるが、外観的な形状はおおむね
維持されています。
干潮時に露出している水際に泥分の体制は見られるが、
足が埋まってしまうようなヘドロの堆積は9年たった今も
みられません。
被覆面が高い位置ほど泥分は堆積していません。
被覆面に凹凸があると、浮遊物・泥分が堆積しやすいです。
こんなことが分かってきました。
2) 被覆の材料による違い
当初、実験開始時には、砂よりもたくさんの穴がある
石炭灰の方が効果があるかもしれないとも考えられて
いました。
しかし、結果的には底質の改善効果は石炭灰よりも
砂の方が高いことが分かりました。
使用した砂と石炭灰を比較すると、石炭灰は、多孔質で
粒径が砂よりも大きかったため、浮遊物・泥分が付着、
すきまに入り込みやすかったと考えられます。
3)覆砂した場所には、多くの生き物が観察されるようになりました。
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このことから、私たちが気づいた、川底の環境を
改善するためのヒントを導き出しました。
134ページをご覧ください。
川底の環境を改善するには
1) 現存する川底のヘドロを除去すること
2) 川幅・川底の凹凸を減らして、泥分がたまりやすく
ヘドロ化しやすい場所を減らすこと
3) 干潮時の水際にヘドロが露出する場所は、
水際の川底を高くして、泥分の堆積とヘドロ化を
抑制すること。
4) 川底を被覆する場合は、浮遊物・泥分が
付着、隙間に入り込みにくい形状・材料とすること。
そして川底の環境が改善され、多様で豊かな
生態系が構築されると、より多くの汚れの成分が
連鎖的に消費され、水の中から取り出されて
水がきれいになります。
そして川が持つ自らの自浄作用がたかまります。
つまり食物連鎖による自浄作用の高まりにも
期待ができます
これらが川底の環境を改善するヒントになると考えます。
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実はこのヒントについては、のちほど名古屋市から
報告がある、2026年秋のアジア大会前に
少しでも堀川の水環境を改善しようとする施策にも
活かしていただく方向で検討されていると
先日お聞きしました。
のちほど後半戦で名古屋市からのご報告があると
思いますので、皆さんと一緒にお聞きし また、
質問もしたいと思います。
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135ページからは、写真での報告です。
135ページの写真では、被覆面の高い位置ほど
泥分がたまりにくい様子がわかります。
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136ページの写真は、あえて覆砂をしなかった場所です。
川底に凹凸があると、泥分がたまりヘドロ化しやすいとが
分かります。 |
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137ページと138ページの写真は、9年たっても
覆砂の形状がほとんど変化していないことをしめしています。
当初予想していたような、砂の上にヘドロがたまってしまう
ということはありませんでした。 |
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139ページの写真は、石炭灰よりも砂の方が、
泥が上にたまりにくいことを示しています。 |
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140ページの写真では、同じ砂で覆っても凹凸があると
泥がたまりやすいことをしめしています。
また岸に近いと懲り(高いところ)では泥がたまらず
砂粒が見えるほどであることを示しています。 |
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最後に、浮遊ごみについてコメントさせていただきたいと
思います。
私自身、ほぼ毎朝、堀川上流部を観察しているのですが、
最近の浮遊ごみは風で飛んで水面に落ちたようなものではなく、
明らかに人が川に投げ込んだものが目立ちます。
ペットボトルや、空き缶はもちろんですが、
家庭用カセットコンロのガスボンベ、洗剤の容器、
キムチのはいっていたプラスチック容器、
カップ麺の容器、もやしやキャベツの入っていたビニール袋など、
家庭の台所から出たごみが非常に多く目立ちます。
それらはもともと、市指定の家庭ごみ袋にはいっていたものが、
袋ごとそのまま川に投げ込んまれ、水の中で袋が劣化して破れ
中身が散乱し、かたまって浮いている光景をよく目にします。
また不思議なことに「くつ」「サンダル」が多く見られます。
こうしたごみは、一度水面に落ちてしまうとなかなか回収できず、
水面を行ったり来たりしているうちに、枯草の塊にからめとられて
回収をますます難しくしています。 |
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146ページをご覧ください。
ナゴヤSUP推進協議会の皆さんが、堀川上流部と宮の渡し
付近で毎月定期的に清掃活動をしてくださるようになって、
ごみはかなり減ってきてはいるのですが、それでも1か月後には
かなりのごみが増えてしまっています。
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ごみを拾うことも大切ですが、ごみを捨てる行為を
何としても止めないと、2026年のアジア大会に
おもてなしの心でお客様をお迎えするつもりが、
とんでもなく恥ずかしい光景をさらしてしまうことに
なってしまいそうです。
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事務局としては、147ページや148ページに
ありますように、若い学生さんや区役所、地元自治会に
ご協力させていただいたり、ささやかながら活動をしていますが、
性善説に訴えるだけのポスターだけでは効果が限定的であり、
性悪説にもたって罰則・罰金といった方法もとらざるを得ない
のではないか、という気がしています。
今後、アジア大会に向けて、例えば愛知県新体育館の
すぐ横には堀川も流れており、水面や護岸は訪れる人たちにとって
貴重な癒し空間でもあると思います。
一時的なものでもよいので、ぜひ「金シャチクリーンキャンペーン」
みたいな美化運動を市役所あげてアピール、実践していただけたら
なあと思っています。
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以上で第36ステージの皆さんからの報告に基づく
市民調査結果のご報告を終わります。
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