堀川を清流に
  堀川1000人調査隊2010

         活動の記録



   第32回 堀川1000人調査隊で報告された

     市民調査の結果をご紹介します。



    
   
⇒名古屋市による浄化の取り組みの報告はこちら

        ⇒第32回調査隊会議の様子についてはこちら

        ⇒木曽川水系連絡導水路事業の説明についてはこちら

        



事務局より   令和5年3月18日
 
   令和5年3月18日(土)に、名古屋国際会議場で開催された、第32回堀川1000人調査隊会議で

  事務局から発表させていただいた、第32ステージの市民調査の総括報告を紹介いたします。

    
  ⇒調査隊のあゆみ 16年の軌跡  PDFデータのダウンロードはこちら


  ⇒市民調査報告 PDFデータのダウンロードはこちら


さて、最初に連絡事項です。3点あります。

1)次回の調査隊会議について

次回は9月から10月にかけて、を考えておりますが、現時点では会場がまだ取れておりません。

4月になると会場が取れると思いますので、また日程をご連絡させていただきます。

 

2)次回の一斉調査について

次回の堀川一斉調査につきましては、今年6月5日を予定しております。

詳しい内容とか、狙いとかにつきましては、後ほど改めて、詳しく説明させていただきます。


3)堀川1000人調査隊の16年間のあゆみをまとめました。
  調査隊のホームページからダウンロードできます。

  また半年前に作成した動画も、ぜひご覧ください。

  ぜひご活用ください。

   ⇒「調査隊のあゆみ」はこちら

  ⇒動画 「私は堀川 2022 15年間の堀川の変化を記録しました」

それでは次に、昨年9月から12月までに皆さんに実施していただいた、第32ステージの市民調査の結果についてご報告させていただきます。

 なお、本日はタイムスケジュールが厳しいので、ポイントを絞ってご説明させていただきますのでご了承ください。

 

1)まず2ページをご覧ください。

目次があります。

黄色い文字が今回トピックとして新しく追加したところです。 本日はここを中心にしてご説明したいと思います。

2)まず10ページをご覧ください。

この16年間で第32ステージの終了時点で皆さんから頂いた調査結果の報告数は11,563件に達しました。

3)11ページをご覧ください。

この9月から12月までの第32ステージの気象条件については、平均気温は平年よりも高く、降水量と日照時間は平年並みでした。

それを表したグラフが、12ページにありますので後でゆっくり見てください。

4)17ページをご覧ください。

堀川の水質改善をするための、名古屋市の施策の実施状況が、2007年度から2022年度まで16年間分、並べてあります。

先ほどのお話のように、2007年度から2009年度で木曽川の導水が終わっております。

けれどもその後に、様々な水質改善のための施策が実施されています。

この32ステージでは、下の欄にあるように、黒川1号橋の下流に、新しい瀬渕がつくられています。

5)19ページから24ページまでは、名古屋市による様々な施策の写真が掲載されています。

6)26ページをご覧ください。

 下の方の(3)に。 堀川の水質の変化について書かれています。

  ちょっと読みます。

 堀川の水質は、木曽川からの導水停止後に悪化しました。

 しかしその後は、気象条件などによって悪化することもありましたが、総じて、少しずつ改善の傾向でした。

 ただ29ステージ、つまり2年前から、改善がやや足踏みの状況になっています。

 これは船の運航がとまるなど、コロナが関係しているのではないかなと、以前からご報告している通りです。

 ただ32ステージでは、水の汚れの印象が改善しています。

 5段階評価のうちの上から三つの、きれい、ややきれい、どちらともいえないという上から3つの割合が、問題の多い中流部、すなわち朝日橋から松重橋の間の間で68%まで改善しています。

 またその下流の松重橋から大瀬子橋の間は、86%まで改善しました。

 さらにまた、猿投橋から大瀬子橋の広い区間で、臭い評価の内、下から2つ、つまり、臭う、ひどく臭う、の割合が減少しています。

 また「全く臭わない」という「無臭の評価」の割合が、95%まで増加しました。

 つまり、堀川は現在、ほとんど臭いを感じない川になってきています。

27ページと28ページにそのグラフがあります。


7)30ページをご覧ください。 先ほど6月5日に実施する「一斉調査」について、あとで少し詳しくお話すると申し上げました。

ここに書いてある表の拡大したものが、93ページにありますのでご覧ください。

8)93ページ1行目。

 第14回堀川一斉調査は、2021年の5月の26日に行われました。

 2022年の5月には一斉調査は行いませんでした。

  その次の一斉調査、第15回はおととしの秋、2021年11月の19日に行われました。

その次の第16回一斉調査は、昨年秋、2022年の11月の8日に行われました。

 第15回と16回の一斉調査の結果をみると、少し違いがあることがわかってきます。

 これは上から2行目にある、庄内川からの暫定導水があったか、止まっていてなかったかということです。

第15回の2021年の時には、庄内川の暫定導水がありました。

 しかし翌年の第16回2022年の11月の時は、たまたま庄内川からの暫定導水が午前10時まで止まっており、導水の影響が限定的でした。

そして結果として、15回と16回で大きく違っていることがあります。

それは水の汚れの印象、特に猿投橋から城北橋にかけての区間で、2021年の第15回は「やや汚い」という評価だったのが、庄内川導水の影響が限定的だった2022年の11月には、「汚い」に変わったということです。

臭いがまた違います。

猿投橋から城北橋の臭いは、導水のあった2021年は鼻をつく洗剤の臭いでした。

ところが導水のなかった2022年は、ドブ臭いにおいでした。

水の汚れの印象を、城北橋から朝日橋の間で見ていただくと、導水のあった第15回は、「どちらともいえない」でした。

しかし、導水の影響が限定的だった第16回は、「やや汚い」に変わっていました。

庄内川からの導水のあるなしの影響が、猿投橋から城北橋、そして城北橋から朝日橋まで及んでいることが見えてきました。

 このように一斉調査は、時期とか条件をできるだけ揃えて行うことによって、堀川の実態が、よりはっきりと見えてくることがわかってきました。

 

9)ところで、今回の第17回の堀川一斉調査を、今年の6月5日に実施することにした狙いについてお話します。

 この日は、決して月食とか日食があるというわけではありませんが、大潮の日なので、水位の変化が大きく、 第14回の、つまり2年前の2021/05/26の皆既月食の日と、よく似た条件になっています。

 2年前のときは、実はコロナのため、堀川クルーズがありませんでした。

 しかし今年2023年のこの6月の5日は、堀川クルーズが4月、5月に実施され、それが終了した直後の日です。

 93ページの項目で見ると、3行目の堀川クルーズのところに緑で色がつけてあります。

 この効果が見られやすいと思われる区間が、その下に緑色がつけてある、朝日橋から納屋橋の間です。

 2年前は朝日橋から納屋橋の間の印象は「汚い」という評価でした。

 今年堀川クルーズがあった場合、この汚いという評価が、果たして改善されるのかどうか。

 それによって、私たちがずっと仮説で考えてきた、

「堀川に船が走ると、堀川の水質が良くなる、すなわちスクリューによる攪拌効果で酸素が供給され、水質改善に役立つのではないか」

という仮説の立証に向けて、またひとつデータが残ることになります。

 まあそれだけではなくて、その他の区間もいろんなデータを積み重ねることによって、色々な気づきが得られ、堀川の謎を、ひとつひとつ、ひも解いていくことができます。

今回の一斉調査はそれを期待しておりますので、是非たくさんの方にご参加いただけき、いろんな場所で、いろんなデータをご報告いただければと思います。

そうした中で、写真や動画を送っていただくことができれば、これも非常に貴重な資料となりますので、定点観測報告だけでなく写真や動画も是非記録として残していただければと思います。

 

 

9)次に29ページをご覧ください。

昨年の第30回調査隊会議で、堀川上流部の水面に、ヨシの枯草が大量に浮いているということを報告し、枯れたヨシの刈り取りを、名古屋市にお願いしました。

そして半年後の秋に行われた第31回調査隊会議では、名古屋市が今年度、水辺の枯れ草を除草する予算を確保できたので実施する、というご報告をいただきました。

今回の32ステージでは、実際に水辺の除草が実施されたのを、私たちも確認しました。

また、ヨシだけではなくて、護岸の雑草や、雑木の伐採も行っていただきました。

それを私たちが観察した結果、見えてきたこと、それから今後に期待されることをまとめてみました。

それが黄色い枠で囲ったところです。

 

10)除草の実施で見えてきたこと それと今後の期待

@浮遊物の減少

 自然由来の、枯れたヨシや木の葉などの浮遊物が、年間を通して減少していました。

 プラスチックなどの人口の浮遊ゴミが、例えばSUPというボートに市民が乗って回収することも、ゴミが草に引っかからないので、非常にやりやすくなりました。

A水質や川底の底質の改善が期待されること。

 川底に沈んで分解する、自然由来の有機物などが減少することが期待できること。

 

B水辺景観の改善が期待できること

都市域の水辺として、市民が望む機能・景観を模索するための第一歩になったと思われること。

水辺の人工ゴミの減少が期待できること。

特に草むら、木の陰に、隠すように投棄されてきた人工ゴミの減少が期待できること。

 

そのうえで、今回私たちの提案として、

 現在、私たち市民がゴミを拾いにくいとか、行政が、木の剪定や除草などの管理がしにくいことになってしまっている植栽のあり方について、見直しをしてほしいという提案をさせていただきたいと思います。

 これは、水辺に限らず、周辺の歩道・道路全般に見直しをしていただきたいというご提案です。

11)これについては、根拠となる大きな写真を、61ページからたくさん載せてあります。

61ページの上の写真は、前回の調査隊会議でも報告した、中土戸橋上流の、刈り取り前の状態から刈り取り後の状態、つまり、おととし2021年の11月そして12月、昨年2022年の4月そして7月の写真が並べてあります。

そのときの提案が、次の通りです。

この中土戸橋の上流では、秋から初冬に、ヨシを刈りとったおかげで、3月から7月頃に生育する新しいヨシに、枯れた古いヨシが混在しなかったこと、つまり古いヨシが水面に落ちて浮遊しなかったことが確認されていました。

この刈り取りによって、人工ゴミに絡みついて集積移動する枯れたヨシが減って、人工ゴミの回収がしやすくなるかもしれない。

 

12)61ページの下の写真は、この冬行われた除草作業の様子です。

作業は、ヨシだけでなく、護岸の斜面の雑草、さらには、いっぱい生えていた雑木の除去も行われました。

13)62ページをご覧ください。

 一番右下が、作業がほぼ完了した今年1月15日に調査隊が撮影した写真です。

もういちど61ページに戻って、右下のホリゴンの吹き出しをご覧ください。

 読んでみます。

 2023年1月13日の調査隊からのコメントでとして、

 「城北橋から田端橋館の朝の様子です。

 今朝も堀川上流部の水は綺麗でした。

 城北橋から田端橋付近まではゴミキャッチャーから逃げ出した枯れ草の塊があり、やや見た目を悪くしていましたが、その量は護岸のヨシを刈っていただいたおかげで大変少なく、昨年とは比較になりません。大いに効果があったと思います。」

14)63ページをご覧ください。

 右上のゴミキャッチャーの写真の拡大したものがあります。

 これはまだ刈り取り作業が終わる前の11月19日の写真ですが

 自然由来のヨシの枯れ草などの浮遊物が多いと、プラスチックなどの人工の浮遊ゴミに絡みついて、ごみキャッチャーでも回収を難しくしてしまいます。

自然ゴミが減ることによって、ゴミキャッチャーが効率的に人工ごみを回収することが期待できるわけです。

また枯草・枯れ草などの浮遊物は川底に沈んでしまうと、川底にたまって有機的な汚れの原因物質になってしまいます。

 

15)63ページの左下の写真をご覧ください。

 植え込みや草むらに、隠すように捨てられていたゴミです。

 今年、御用水跡街園付近をかなりしっかり除草していただいたら、ゴミを捨てると目立つようになったためか、ゴミのポイ捨てや不法投棄がかなり減っているように感じます。

16)64ページをご覧ください。

 御用水跡街園のベンチの周辺には、このように植栽がありますが、この植栽には、いつも同じ人だと思われるのですが、同じ種類のコーヒーの空き缶が、同じ場所に、同じようにして隠すように捨てられています。

 最近別の場所のベンチの周りは、植栽をきれいに整理されたのですが、その場所はほとんどごみが捨てられなくなっています。

17)65ページをご覧ください

これは志賀橋下流側の植栽です。

この植栽の向こう側には階段があって、上にあるローソンから階段を降りてくるときに、コーヒーやビールの空き缶が、植栽の中にたくさん投げ捨てられています。

 

18)65ページの真ん中の段の写真は、北清水橋上流側右岸の植栽の写真ですが、昨年の5月の26日には、ここに丸い蛍光管が隠すように捨てられていました。

 植栽は、本来緑化や美化のために植えられたと思うのですが、この植栽が、美化というよりもゴミ捨て場や、ゴミ箱のような役割の場所になってしまっています。

19)66ページをご覧ください。

金城橋下流側の右岸に、ベンチが三つ並んでるんですが、昨年秋まで、この場所は、樹木や雑草がうっそうとしていて見通しが悪く、対岸からも見えないため、護岸の上から下の堀川に、ゴミがたくさん投げこまれていました。

クール宅急便で使われた発泡スチロールの箱が、何度も投げられていましたし、タイヤのホイールキャップも捨てられていました。

 

しかし、この冬に綺麗に木を伐採したり、除草していただいたら、対岸から何をしているか、よく見えるようになりました。

その効果があると思うのですが、最近は投げ捨てられるゴミが少なくなっています。

ただし冬場からこれから夏場になると、人の行動が活発になってきます。

冬はゴミが少なく、夏は多いと言う感じもしますので、まだしばらく注目する必要があると思いますが、樹木や草の管理は、大変効果があることがわかってきました。

20)67ページをご覧ください。

城北橋の上流側の左岸の様子です。

このガードレールの向こう側の急傾斜護岸には、家庭ごみや、ペットボトルなどがたくさん落ちています。

このガードレールの下には隙間が空いています。

実はこの向かいに、マンションのごみ置き場があって、カラスに襲われて車道にゴミが散乱しているのをときどき見かけるのですが、車道に散乱したごみが、このガードレールの隙間から急傾斜の護岸に落ちてしまうと、危険なので、そのごみを拾うことができません。

右上の写真は、除草した後なので、ゴミがよく見えますが、除草する前は、草むらにごみが隠れたり、引っかかったりして、トングを延ばしても拾い上げることが困難なほどでした。

ガードレールのこの隙間を何らかの方法で狭くすることができれば、護岸や水面に、風で飛んだごみが落ちることを防ぐことができます。

道路と河川は、同じ緑政土木局で管理されていますし、今後整備をされるときに、ゴミが川に落ちにくい設備を工夫していただけないものかと思います。

ゴミの多い護岸には、ゴミを投げ込んでも罪悪感を感じなくなり、ゴミがゴミを呼ぶということもわかってきています。

この辺りは、近い将来、護岸の整備に着手される予定があるというお話も聞いていますので、ぜひ、管理しやすい護岸整備をお願いしたいと思います。[


21)68ページの写真は、ご理解いただきやすくするために、私がゴミを拾っているときのスナップ写真を掲載いたしました。

これを見ていただくとわかると思うのですが、植栽に捨てられたゴミというのは、本当に拾いにくいです。

 特に茂みのようになってしまっている植栽は、ある意味、風で飛んだゴミを引っ掛けるゴミキャッチャーのようにもなっています。

 しかし、隠すように、わざわざこの植栽の奥の方に、空き缶やペットボトルを捨てる人が絶えません。

 捨てるのは一瞬ですが、拾うのには、下手をすると5分近くもかかります。

 そういう意味で、緑化をするにしても、手入れにお金もかからず、ボランティアでもゴミの拾いやすい、緑化のあり方を考えていただきたいなと思います。

22)また車道と歩道の間にもこういう腰の高さの植栽がたくさんありますが、信号待ちのときなどに、車の助手席からゴミを投げ捨てる恰好の目標になってしまっていて、交差点の手前にはひどいときは、ビールの空き缶を拾ったこともあるくらい、たくさんゴミが落ちています。

 

23)また護岸に設置されているベンチは、川を見るように設置されていることが多いのですがタバコの吸殻やペットボトルが放置されていて、汚れたベンチは、必ずしも一般市民の憩いの場として機能していないことも多く、いっそベンチなどない方がよいのではないかと思ってしまう時もあります。69ページの写真もそうです。

23)70ページの写真も、熱田区付近の、路上から川側の空き地に投げ込まれたゴミの様子です。

道路付近にポイ捨てされ放置されているゴミがあり、風で飛んで川に入るケースもあると思います

一旦川に入ってしまうと、拾い上げることが非常に困難で、今問題になっている海のマイクロプラスチックゴミになってしまいます。 できれば川の護岸付近は、ポイ捨て禁止区域への指定をお願いできないものかなとも思います。

是非今後、ご検討いただきたいと思います。

24)次に新堀川について、少しご報告したいと思います。

  77ページをご覧ください。季節や潮回りについて違いがあるのかどうか、まだまだデータ数が少ないのですが、少しずつわかってきていることがまとめてあります。

 今日は時間が限られていますので、新堀川についての報告は71ページから87ページに、詳細に書いてあります。後で目を通していただければありがたいと思います。

25)最後に、今年大きな話題になったボラの大量遡上についてご報告します。

 私たち堀川1000人調査隊は、生き物を通して堀川の実態をひもといてゆく、ということをつづけてきました。今年のボラの観察も、その一環です。

26)117ページをご覧ください。

 ここに書かれているように、ボラの遡上は、主に1月中旬から2月中旬のことが多いのですが、今年はやや早い、12月30日に猿投橋に到達しました。

 129ページをご覧ください。 堀川1000人調査隊の YouTube のチャンネルに、今年度のボラの遡上の様子を動画で記録して アップしてあります。

 右側の下の四つ、12月26日から1月4日までの記録が、このQRコードで見ることができます。

 またFacebook で「堀川1000人調査隊」を検索していただくと、日々たくさんの短編動画がアップしてあります。 フェイスブックの会員でなくても見られますので、ご興味ある方は是非ご覧ください。

 

27)数の上では、今年のボラの遡上のピークは、1月11日であったと調査隊の事務局では考えています。

この時には城北橋付近から猿投橋付近まで水面が真っ黒になるぐらいボラが埋め尽くしていました。事務局の試算では、約70万尾が遡上してきたと考えています。

 117ページの右の写真は、ボラが密集しすぎて、「イケスのような状態」になってしまい、白いお腹を見せて、不規則にくるくるボラが回転している様子が見られました。

 

28)なぜ毎年のように、堀川上流の猿投橋まで、ボラが大量に遡上してくるのか?

 今年、今まで見たこともないような数のボラがなぜ上がってきたのか?

その理由は謎で、現時点では、はっきりした理由はわかっていません。

ただ少しずつ堀川水質が改善し、掘川が生き物たちのゆりかごとしての条件が整ってきたということは間違いないと考えています。

 

29)そう考える根拠ですが、117ページの、ボラの大量遡上の記録の上2行、2008年2月13日そして2009年1月29日、この2年は木曽川からの導水が猿投橋から入っていた時期です。

当時私たちは、木曽川の水で堀川の水質が良くなり、途中で死魚が発生することなく堀川上流部までボラが上がってこられたのではないかなと考えていました。

 木曽川の導水が終わった2010年の3月以降2013年3月までの3年間は、ボラの遡上がありませんでした。

 この3年間は私達が観察して記録した、水質が悪化した時期とほぼ一致しています。

 木曽川導水からが止まってから3年間ほどは堀川の水質が悪化していたからです。

木曽川導水が停止したのちに、ボラの遡上が確認された2014年1月の18日は、水質が改善してきた第14ステージになります。

30)28ページをご覧ください。

最初にボラが上がってきたのは第2ステージと、第4ステージです。

そしてボラが上がってこなかった、第6、第8、第12ステージまでの3年間は、堀川のにおいの状況が悪化していた時期に重なります。

再びボラが上がってきた第14ステージからは、堀川で悪臭がする頻度は次第に下がり、現在まで改善傾向にあります。

以上が、ボラの遡上と堀川の水質改善がリンクしているのではないか、と事務局が考えている根拠です。

31)しかし、ボラの大量遡上は、堀川の水質だけでなく、外的要因も大きいのではないかとも考えられます。

今年の報道を見ていると、伊勢湾の流域圏だけでなく太平洋側の色々な場所でボラが大量発生しているというニュースが見られました 。

堀川にボラがあがってくるのは、伊勢湾さらには太平洋全体、あるいは黒潮などの潮流の変化の影響を受けている可能性は十分にあります。

それでもなおかつ、水質の改善があったからこそ、中流域で死魚が発生することなく、堀川の上流までボラが大量に上がってこられた、ということではないかなと思います。

 堀川で今年、ボラを観察していると、彼らは濁りを嫌って逃げ回る様子がよく見られます。

ボラは、汚いところでも平気で上がってくる、という話をされる方もあるようですが、私たちが堀川でボラを見ている限りでは、やはりボラは汚いところよりは、きれいな水の方が好きなようです。

生き物を通して、堀川の変化がわかってくる、という一つの事例です。

32)121ページをご覧ください。

 なぜ堀川にボラが遡上するのかについて、少しひも解いてみようとしました。

テレビ等で、海の水温が下がるとボラは暖かい川の方に移動してくるのではないか、という説明をされているのを聞いたことがありますが、事務局で、公表されている名古屋港の水温と、堀川の港新橋の水温を比較してみました。でも、あまりはっきりした結果は出ませんでした。

ボラが、水の暖かい川を選んで遡上しているということを説明できるだけの情報は、今のところありません 。

また私自身も思うのですが、ボラ達は水温が高いはずの城北橋、つまり水処理センター付近を通り越して、もっと水温の低い猿投橋まで行っています。

ですから、水温だけで説明するのは厳しいかなという感じがしています。

33)122ページご覧ください。

ボラの遡上に餌は関係しているんだろうかと。

調査隊によって錦橋付近でボラが水際に付着しているものを食べている様子が確認、記録されています 。

また過去に、海部郡の汽水域で餌をやらずに養殖をする粗放敵養殖が成り立っていたという論文がありました。

ボラのエサは、海部郡や堀川のような汽水域にもあると考えられ、ボラの遡上に餌が関係していないとは言い切れないと現時点で考えています。

また、122ページの右側に事務局の立てた仮説を書いてあります。

ボラの群れは、イルカやスナメリ、カワウなどの天敵に追いかけられて堀川に入り込み、堀川で餌を食べながら上流の行き止まりである猿投橋へ移動してくるのではないか。

現時点ではまだ正解はわかりませんが、今後の、これからの観察でひょっとしたらわかってくることがあるかもしれません。

33)次に、今年久しぶりに堀川で発生したボラの大量死とその原因について考察しました。

123ページをご覧ください。

 今年実は、本当に久しぶりに堀川でボラの大量死が発生しました。

 今年堀川で大量死が発生したのは3回ありました。

1月17日の長潮(小潮の最後の日)の日に約2万尾、2月1日(若潮=長潮の次の日)に3万尾、

そして2月の22日の大潮の日に約1万尾。

これは事務局が死骸の様子を見て推定をした数字ですけれども、合計して約6万 尾が堀川上流部で大量死しました。

ただし事務局では、これが堀川の水質が悪かったから死んだ、というわけではないと考えています。

実は木曽川導水のあった、2018年、2019年のときは、幅下橋から下流付近の堀川中流部で、遡上してきたボラが、ほぼ全滅の形で大量死しました。

そのときはまだ、その中流部付近にヘドロがいっぱいあって、大潮で水位が大きく下がった時にボラの密集度が高まり、川底のヘドロが巻き上げて水質が悪化し、酸欠で、ほぼ全滅したと考えられています。

 

しかし、今年の大量死は、全滅ではありませんでした。

生き残ったボラは、その後も猿投橋付近では、元気に過ごしていました。

123ページの右側、上から2枚目の写真をご覧ください。

12月30日に猿投橋まで登ってきたボラが、2月の1日の大量死のあと、錦橋付近を海の方に帰ってゆくところを撮影したものですが、やせた体に白い斑点のようなもの、おそらくカビのようなものだと思うのですが、白い斑点のついている個体がたくさんありました。

おそらく、長く淡水域にいたために病気になって体力を消耗し、弱ってしまったのだと思われます。

先ほど117ページの写真で見ていただいたように、今年はボラが大量に遡上しすぎて、あまりに過密状態になり、自分たちの呼吸で水中の酸素を消費してしまって酸素が不足し、体力を消耗した弱いボラから順番に死んでしまったのではないかと事務局では考えています。

 

そして、生存競争に負けて死んでしまったボラは、ピークに遡上した70万尾の約1割の6万尾ほどで、あとのボラは海に帰っていったか、まだ上流に残っているか、ということで、決して水質の悪いことによる大量死ではない、生存競争の中での厳しい現実ではないかと事務局では考えているわけです。

34)今年、小潮のときに2回、大潮のときに1回、大量死が発生しましたが、このイメージ図を、125ページと126ページに掲載しておきました。

今日は詳しいご説明は省かせていただきますが、ものすごい大量のボラが、あれほど密集しながら猿投橋を目指して2カ月以上も生き残ってきた理由については触れておきたいと思います。

 

それは、猿投橋の滝、すなわち落差工が、生き物に大きなプラスを与えているということです。

庄内川から、もともと溶存酸素をしっかり含んだ水が流れてきて、それが滝になって落ち込むときに強い攪拌効果、つまりエアレーション効果を発揮し、猿投橋から下流にたくさんの溶存酸素を供給したと思われるからです。

ボラの生存競争は、勝ち残ったものが猿投橋近くに居座り、猿投橋近くまでたどり着けなかった群れは、自分たちの呼吸で酸素を消費してしまって、群れの一番下流側、私はそれを「群れのしっぽ」と呼んでいましたが、「群れのしっぽ」では、苦しそうに口を水面に挙げて呼吸している様子がよく見られました。

もうひとつ、大潮の強い下げ潮のときには志賀橋付近の群れは北清水橋の下流まで流されていました。126ページの一番下のイラストがそのイメージです北清水橋の下流は、急に川幅が広くなっていて流速が遅くなり、川底に有機物がたまって貧酸素になりやすいと考えられています。

ボラが、北清水橋を超えると、下流側のしっぽの群れが、水面に上がってきて急に苦しみだして口で息をし始めること、その少し上流にいたボラは、深いところでゆうゆうと泳いでいるところを何度も確認しました。

上げ潮に転じると、北清水橋下流の貧酸素の水塊に押し戻され、飲み込まれるようにして、ボラが苦しみもがきながら上流に移動し、ふらふらと白いおなかを見せて浮き始め、やがて死んでゆく姿も何度も見ました。

私たち人間にはわからない、微妙な水質の変化(この場合は溶存酸素の変化)を、ボラを見ていて感じました。

生き物の観察を通して堀川をみていると、ひとつずつ見えてくるものがある、ということを感じさせられた次第です。

今年気づいたことは、現時点ではいずれも仮説にすぎないわけですが、来年以降、またボラが大量遡上することがあれば観察を続けることによって、さらに色々なことが分かってくる可能性があります。

皆さんからのたくさんの調査報告や情報をいただき、海流の変化などの外部要因にも気を付けながら、 今後も生き物の観察も一つの大事な手段として、堀川の実態解明につなげていきたいと思います。

以上で、32ステージの皆さんからの報告に基づく市民調査結果のご報告を終わります。

















下記は、令和4年3月19日付で掲載した関連記事です。


事務局より   令和4年3月19日
 
   令和4年3月19日(土)に、ウィルあいちで開催された、第30回堀川1000人調査隊会議で

  事務局から発表させていただいた、第30ステージの市民調査の総括報告を紹介いたします。

    
  ⇒PDFデータのダウンロードはこちら



それでは、事務局で作成しました、第30ステージの市民調査の結果についてのご説明をさせていただきます。



まず、表紙の2ページ、 黄色で表示されたものが、今回の報告書の中で特に新しく増えた項目ですので、今日はこれを中心にご説明させていただきます。

 6.2.9  城北橋〜猿投橋間の「浮遊物」と「あわ」と「におい」について

 6.2.10  第15回堀川一斉調査について

 6.3.2   ヘドロ浚渫3年後の新堀川の変化について(秋~冬)

 6,4.2   堀川・新堀川で、水鳥の仲間が多くみられる場所は?

 6.4.3   小魚の姿が見られ、透明感が感じられた緩傾斜の水際



本論に入る前に、この30ステージで見られた珍しい現象についてご報告します。

133ページをご覧ください。1月15日にトンガ沖で起きた大規模噴火による、いわゆる津波が堀川に影響があったかどうかです。

結論から言うと、私自身が1月16日の朝に現地で確認したことですが、堀川上流部の北清水橋から黒川橋間の護岸にくっきりと水の跡が付くほどの潮位の変動がありました。

水そのものも、今上流から下流に流れていたと思ったら、次の瞬間には下流から上流に向きを変えるなどとても複雑な動きをしていました。

水の流れもかなり速いのを確認しました。

あとで、名古屋港の水位の変化のグラフで確認すると、133ページのグラフがそれですが、大きな干満による波に、青い線で実際の潮位の変動が小刻みに続いていたことがわかりました。

  これについては、動画がありますので、ご覧ください。

    1月16日 午前4時50分 北清水橋で撮影

     1月16日 午前5時50分 北清水橋で撮影 向きを変えて流れる

また、名古屋港管理組合からの情報では、堀川口の防潮水門を安全のため5門の内、4門を午前4時20分から翌日17日の7時24分まで閉鎖していたとわかりました。

2011年の東北の震災のときは、水門の構造が、押し寄せる波には強いけれども、引き波には強くない可能性があって閉められなかったと聞いていたその水門ですが、その後、補強することになったという報道があったので、もう引き波にも耐えられるようになったのかなと思っていました。

ただ、念のため名古屋市に確認していただいたところ、実は現段階では、この水門の本体は耐震補強が完了しているそうですが、ゲート自体はまだ対策できていないとのことでした。

従って、現時点では、依然として引き波にはまだ弱い構造なのだそうです。

ただ、耐震補強によって、上流に押し寄せる津波を防ぐ能力は向上しているので、今回の津波では、5門の内4門を閉めても大丈夫、少しでも堀川への影響を防いだ方がよい、という判断であったのかなと個人的に私は思っています。

しかし5門の内4門を閉鎖してもなお、堀川上流部で30p近い水位の変動がくっきり護岸に残っていたのは事実で、今回それを写真で記録することができたのは収穫だったと思います。



次に、今年の冬はとても寒い日がありました。特に冷え込んだ2月7日の朝、これも早朝に私が現地で確認しましたが、上流では志賀橋、北清水橋付近、そして田幡橋から金城橋、城北橋付近で、水面から湯気がたちのぼってもやっているのを記録しました。

その写真が134ページの写真です。


この写真を撮影した時間帯は右上のグラフでわかるように、上げ潮の時間帯です。

金城橋や城北橋上流で湯気が見られたのは、おそらくですが、名城水処理センターの温かい放流水が上げ潮にのって川の表層を遡上して、冷たい空気に触れて湯気が立ちのぼったのではないかと思います。

      これについても、動画がありますのでご覧ください。

      2月6日 田幡橋にて撮影


一方で志賀橋や、北清水橋については、別の要因であることも考えられます。

と言いますのは134ページの右下の写真は国土交通省の八田川の監視カメラの写真ですが、八田川の水面からも湯気がたちのぼっています。

八田川の水は、水分橋から堀川に入ってきていますので、志賀橋付近の湯気は、八田川からの水温の高い水が空気で冷やされて立ち上った可能性もあると思います。

あるいは、城北橋の水処理センターの水が遡上したことによるものかもしれません。

断定的なことは言えませんがこのふたつが関係している可能性があります。

この冬観察していて確認したことですが、単に水温が高く、空気が冷たいだけでは湯気は立たないこともわかりました。

雪が降っているとか、前夜まで雨が降っていたとか、湿度が高い状態であることも必要なようです。

そういう意味でこの冬は、とても貴重な記録を残すことができたと思っています。



さて、本論に入ります。

9ページをご覧ください。

右側の表の下に、これまでの調査結果の報告数8,224件と書かれています。

これが、皆さんが調査し報告いただいた15年間のトータル数です。

平均すると、毎年約500件以上の調査が実施され、報告されています。

これは、とてもすごいこと、名古屋市民のパワーとして誇ってもよいと思います。




次に11ページをご覧ください。

30ステージの気象条件はどうだったかというと、9月12月の平均気温は平年並みで、10月前半に気温が高い日が続きましたが、そのほかは平年並みでした。

降水量は平年より少なく、期間を通して1mm未満の日が74%をしめていて、反対に50mm以上の大雨が降った日はありませんでした。

日照時間も平年並みでした。

 

 そうした気象条件のもと、30ステージがどうであったかが、26ページの一番下に書いてあります。

皆さんの報告によれば、「水の汚れの印象」は、朝日橋より下流に向かって大瀬子橋までの間で改善が見られました。

特に、松重橋〜大瀬子橋の間では、きれい、ややきれい、どちらともいえないの合計が92%にもなっていました。 

また、猿投橋から大瀬子橋までの広い区間で見ると、ひどく臭う、ややひどく臭う、の割合が減少し、無臭の割合が95%まで増加しました。

 



これをグラフ化したものが27ページと28ページに掲載してあります。

グラフにすると長期的に改善傾向が見て取れると思います。

  


長期的な改善傾向ということに関連して、ちょっととびますが、81ページをご覧ください。

ここには、昨年11月19日の部分月食の日(つまり特別に水位の変化の大きい大潮の日)に実施していただいた、第15回堀川一斉調査の結果がまとめてあります。

結論から申し上げますと、この11月19日の日には、あっと驚くような現象は報告がありませんでした。

しかし、長期的な観点から見ると、この日の調査はデータの蓄積と事実の記録という意味で非常に大きな意義がありました。




85ページをご覧ください。名古屋港の潮位と気温をグラフにしたものです。

青いグラフが11月19日の部分月食、オレンジ色が半年前の5月26日の皆既月食の日のグラフです。

見ていただくと真ん中の正午のころの潮位の下がり方が、オレンジのグラフと比べて青いグラフはあまり下がっていないことがわかるかと思います。

つまり、私たちが調査を行う昼間の時間帯は、特別な大潮といっても、干潮時の水位の低下が5月に比べて11月はそれほど大きくありません。

これは地球の自転軸が少し傾いていることによっておこる春夏モードと秋冬モードの違いで、春夏は昼間の干潮時に大きく水位が下がり、秋冬は夜間の干潮時に大きく水位が下がるという現象になるためなのだそうです。




そして86ページをご覧ください。右側の黄色い四角の中の黒い文字です。

半年前の5月に行った一斉調査と比較して、川底のヘドロの巻き上げは報告されなかった、その他の変化、つまり魚類等の生き物、潮の先端の水面に集積する浮遊物は報告されなかった、とありますが、春に比べて秋は、大きな変化が確認できなかった、という結果になりました。


それでは、一斉調査を行う意義は何なのか?

この一斉調査は、私たちが普段思い思いの日にち、思い思いの時間帯に調査活動をしているのに比べ、少なくとも特別な大潮の日に合わせて、みんなで一斉に調査し記録を残す、ということに意義があると考えています。

普段の調査活動は、いろいろなデータを集めることによって、特定の日だけではない、堀川の平均的な姿が長期間の間にどう変化するかをとらえることができます。

それが先ほど27ページ28ページでご説明させていただいたものです。

 

それに対して一斉調査は、同じ条件の日のデータを何回も繰り返し集め蓄積することにより、長期間の堀川の変化が一層鮮明になってわかる可能性があると考えています。

 

今回の調査結果だけで、何かを言いきれるということはなくても、継続することで、データが蓄積し、いつの間にか堀川がこんなに変わっていた、ということを証明できると考えています。

 

そのためのデータの蓄積そのものが重要だと考えて、これからもできるだけ一斉調査を行ってゆければと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。

 

次回は11月9日に皆既月食がありますので、この特別な大潮の日に行います。

今回も昼間はおそらく干潮時の水位は大きく下がらないと思いますが、ちょうど一年後に同じ時期の同じ条件の日に一斉調査を行うことにより、長期的な変化を見ることができるという意義があります。

ご参加いただける方はどうぞよろしくお願いします。



さて次は、本日もっとも中心的な報告になります。

この半年間、私自身も現地調査を行いましたが、皆様からいただいた報告を含め、城北橋から猿投橋の間を集中的に調査を行い、これまでも指摘されていた問題について色々な気づきを得ることができました。

本日は、この気づきを行政の皆さんにも共有いただき、提言や提案とまではまだ至りませんが、要望に近い形でお聞きいただき、この後の行政報告、意見交換を堀川の浄化・美化のために活用していただきたいと思います。




それでは、68ページをご覧ください。

左側の(1)から(4)に市民の気づきとして整理してみました。

 

まず(1)です。北清水橋付近では、資源ごみの回収日の当日、または翌日、翌々日に資源ごみの袋が水面に浮いているのを、ほぼ毎週、百発百中に近い確率で確認したということです。

 

これは、資源ごみの回収日に、中身の空き缶を抜き取って、いらなくなった袋を一つの袋に詰め込んで、いらなくなったその袋をポンと川に投げ込んで捨てたのではないか、という疑いを捨てきれないわけです。

 

それ以外にも、路上であるとか、人が拾えないような護岸の斜面に散乱しているごみを、たくさん確認し写真で記録にとりました。これらは、一握りの限られた人がやってることだと思いますが、いったいどうしたらいいの?と、私たちは途方に暮れるわけです。




69ページの右上の写真をご覧ください。

猿投橋の資源ごみの回収場所から空き缶がごっそりなくなっていて、空き袋が川の中に投げ込まれていた様子です。

それが真ん中の写真です。

 

ちょうどこの回収場所の下は、急斜面になっていて高さもあって落ちると危ないので、たとえば、回収時間に間に合わなくて遅れてきた人が袋を護岸の柵の向こうに投げ込んだものが、いつまでも除去されずにそのままになってしまっています。

それが上の段、真ん中の写真です。

 

左上の写真は、浄化のために植えられたヨシの茂みに、水面に落ちたごみが引っかかっている写真です。

田幡橋から金城橋、城北橋の間でこうした光景がいつも見られます。

 




70ページをご覧ください。

左上の写真は12月19日に北清水橋の近く(実際には黒川橋に近い)に捨てられていた、ベッドに敷くマットです。

ひもにしばって5時から6時くらいの間に投げ込まれていました。

5時には浮いていなくて6時に私が見つけて写真に撮ったあと、護岸の近くにあったので、ひもに指をひっかけて引っ張り上げようとしたのですが、失敗しました。

水面に頭を出しているところは濡れていなかったのですが、大半は水中に沈んで水を吸って無茶苦茶重く、自分の指が切れてしまってけがをしたため、引き上げるのを断念しました。

後日、ナゴヤSUP推進協議会の皆さんが、SUPに乗って水面から引き揚げてくださいました。

 

その様子がその下の写真です。

その右側がビニールごみのいっぱいつまった資源ごみ袋です。

これもSUPの方々が時々引き上げてくださっています。

 

悔しいのですが、このビニール袋は、西風の抵抗でゴミキャッチャーまでたどり着かず、金城橋付近のヨシの茂みに引っかかってしまっているのをよく見ます。

またせっかく城北橋までたどりいてもゲートの開く時間に間に合わなかったり、形状の問題などでゲートに入らない、またたま護岸近くに流れついていて引っ張り上げようとしても、長い間水につかっていたビニール袋は、ビニール自体が劣化して、引っ張り上げようとすると、重みで袋が破れて中のものがでてきてしまったりします。

本当にたちが悪く、いつまでも同じごみが上流から下流まで行ったり来たりしている姿を、実にによく見ました。

もういちど68ページにもどって(2)をご覧ください。

堀川の水は名古屋港の潮汐・つまり干満の変化で、遡上、降下を繰り返していて、浮遊物が(それには人工ゴミもあれば枯草などの自然ゴミもあるのですが、潮汐による流れや風の影響を受けて移動しています。


このため、ゴミキャッチャーのゲートが1日1回開くときに、浮遊するゴミが下げ潮になってもまだゲートの前にたどり着いておらず、回収されていないのをよく見たのです。

 




これはどういうことか、といいますと、71ページをご覧ください。写真を見ると、干潮時間になって潮が下げ切って、城北橋より上流部のごみがほとんどすべてゴミキャッチャーに集まっているのですが、ゴミかごに回収されていないのです。

そして潮が上げ始めると、ごみはそのままゴミキャッチャーから逃げ出すように上流に遡上していきます。

そして約12時間後の次の干潮にもどってきて、でもやはりゴミかごには回収されていない。

こういう状態が多かったことが確認されたのです。

 

一例として、1月25日と1月26日の様子をグラフでご説明します。

ゴミキャッチャーは、水位センサーによってゲートが開閉しています。ゲートの開くのは1日1回、5分間だけです。

土日、祝日、大雨の日は、下水処理施設の保護やメンテナンス上の理由からゲートが開きません。


さてその水位センサーが感知する水位のことですが、厳密にいうと正確ではないですが、我々素人が理解しやすいおおよその話でいうと、名古屋港の水位(NPといいますが)が満潮の後、水位が下がり始め180pの水位になったときに、潮が下げ始めたということを認識します。


そして170pまで下がった時にゲートを開きます。

そのゲートは5分間開いてゴミを川の水とともにゲートの中に落とし込み、ゴミかごで回収する仕組みになっています。


さて、このグラフですが、この日は小潮で、満潮は午前10時32分、満潮時の名古屋港の水位は194pでした。

170pになったのはおそらく12時ちょっと過ぎです。

でもこの時には、おそらく北清水橋付近まで6時間半くらいかけて遡上していったごみは、満潮からわずか1時間半では、とうてい戻ってくることができません。

ゲートは5分間で閉まってしまいますから、そのあと、遅刻して続々とゴミキャッチャーに到着したごみが左上の写真です。

写真を撮ったタイミングが16時25分、上のグラフで、青い丸がついている、水位が一番低い時間帯です。

 

このごみは、深夜にかけてもう一度、水位の上昇とともに上流に戻っていきます。

そして翌朝にかけて下げ潮に乗ってゴミキャッチャーに戻ってきます。

しかし、夜間にはゴミキャッチャーはメンテナンス上の理由からゲートは開きませんから水位が下げ切った時間帯にはそのまま戻ってきてまたゴミキャッチャーにたまってしまいます。


その写真が下の写真、撮影した時間は翌朝1月26日の5時18分です。

下のグラフの青い丸がついている水位が下がりきった時間帯です。

名古屋港の予定水位は、城北橋に伝わるのにタイムラグがありますので、正確にゲートが開く時間を予測して撮影することはできませんので、ゴミを回収する瞬間の写真はとることができませんでした。


しかし小潮のときはほぼ確実にゴミは戻ってこられない、下手をすると満潮時でも180pの水位より高くならないこともありました。

中潮のときもほとんど戻ってこられない、大潮のときは、上流深くまでごみが行ってしまって、下げ潮のスピードは速くても、城北橋まで戻りきれず金城橋付近で止まってしまっているのも目撃しました。


 

また冬は西風が強くて逆風に阻まれて下げ潮なのに、上流に向かってゴミが流れている場面にも遭遇しました。

 

ちなみに私自身が2月の1か月間観察していて、ゴミキャッチャーがほぼ確実にごみを回収していたのは、2月1日から4日の新月の大潮の4日間と、2月15日の中潮の日の5日間だけでした。


そして2月16日からの満月の大潮の4日間は、なぜかわからないのですが、浮遊するゴミは金城橋下流で下げどまってしまい、城北橋まで帰ってこず、また上流に戻っていってしまっていました。

3月になってからの新月の大潮では、ゴミがかなり減っていたので、ゴミキャッチャーが回収したのではないかと思っています。

 

これがゴミキャッチャーという名古屋市の浄化施策の効果を検証するために、今回集中的に観察した結果の私たちの気づきです。




もういちど68ページに戻って(3)をご覧ください。

以前から、猿投橋では、毎年11月くらいから、庄内川の導水があるとき、水面が真っ白になるほどの泡がたつこと、そして、猿投橋の滝の付近では、鼻をつんと突くようなパルプ臭のようなにおいが発生することが指摘されていました。

その原因について、水分橋から導水するときに晴れの日が続く冬場に泡が多くなるということまではある程度わかっていました。

 

それを今回、集中的な調査によって数値的にもある程度説明することができるようになりました。

また、その泡が、猿投橋付近に停滞して渦を巻いていたり、下流に流れていって北清水橋付近まで泡で真っ白になることがあることもわかっていましたが、今回の集中的な調査で、泡が停滞したり流れ出したりするのにいくつかのパターンがあることがわかってきました。

 

それが(3)と(4)に書いてあります。

 

読んでみます。

(3)

@ 庄内川の導水があるときは、滝の下で泡立ちが増加する。

  晴天が続くと、庄内川の流量が少なくなり泡立ちが多くなる傾向がある。

  これを今回、国土交通省が公開している庄内川の味鋺の観測地点の水位でみてゆくと、晴天が続いて流量が少なくなると、川の水位の水位が低くなりますが、そういう時は泡立ちが多くなる傾向がはっきりわかってきました。

A 庄内川の導水があるときは、パルプ臭がするときがある。
  それはちょっと長く吸っていると気分が悪くなる時がある、これは私自身が経験しました。

B 滝の下で泡立ちが多いときは、パルプ臭がする頻度が高いことが数値化できました。

C  庄内川の導水があるときは、滝で発生した泡が、猿投橋のすぐ下流で集積する、つまり泡がたまった状態になる頻度が増加する。

  泡立ちが多いときは、泡の集積が増加する。

D    滝の下の下流に泡が集積する時は、パルプ臭がすることが多い。

(4)です。

猿投橋下流で発生する泡の集積(つまり泡がたまる)メカニズムがわかってきた。

泡の集積は、名古屋港の潮汐(つまり満潮や干潮)、気象条件、猿投橋の下の川底の形状(どろがたまってマウンドのようになっている場所があるんです)、大幸川の出口のへこみなどが複雑に関係していることがわかってきました。

さらなるメカニズムの解明には観察の継続が必要である。




それでは、72ページをご覧ください。

左上の写真は、庄内川からの導水が停止していて滝から水がほとんど流れ落ちていなかった11月18日朝6時27分の写真です。

この写真のように、庄内川の導水のない中潮や大潮の満潮時間帯には、ゴミキャッチャーから逃げてきたゴミが、導水に押し返されないために、猿投橋の滝の下まで遡上してくることが時々あります。

 

写真下がその4日後、庄内川の導水が再開した大潮の満潮時間、朝6時23分の写真です。

実はこの30ステージでこの11月22日が最も激しく泡立った日でした。

その泡立ちの激しさを何とか数値化しようと考えたのが泡立ち率です。

毎日、同じ場所で、同じアングルで写真を撮り続け、その写真上で、滝の幅を分母にして、泡がどこまで広がっているのか、つまり長さを分子にして「泡立ち率」と名付けて数値化しました。

泡が激しく立っている日は、泡の長さが長くなり、泡立ち率が高くなります。

あくまでも写真から長さを測っているので、もちろん誤差はあるのは承知の上ですが、何らかの数値化が必要と考えてこの数値を毎日の写真から割り出す作業をしました。

 

72ページ右側の写真は参考資料です。上の写真は庄内川から堀川に取水する元入樋門(左岸)を右岸側から撮影したものです。

下の写真は元入樋門から堀川に水が流れ来る様子です。




さて、73ページをご覧ください。

上のグラフは青い線が庄内川の味鋺観測点の水位を9月から12月の4か月間グラフにしたものです。猿投橋の写真は、ほぼ毎日6時から6時30分の間に撮影していますので、庄内川の水位はその直前の午前2時から6時の平均値をとってグラフ化してあります。

 

グラフのオレンジ色の棒は泡立ち率です。赤いドットが打ってあるのは、様々な理由で庄内川の導水が停止している日です。

 

見ていただくと一目瞭然ですが、赤いドットのある日、つまり庄内川の導水のない日は、泡立ち率はほぼゼロです。

つまり導水が止まるとほとんど猿投橋では泡が立っていません。

 

次に青いグラフを見てください。庄内川の上流で雨が降ると庄内川の水位は当然上昇します。

左から見てゆくと9月中は秋雨のシーズンで比較的雨も多いせいか、庄内川の水位は高い日が多いので泡立ち率はさほどでもありません。

 

しかし10月になると雨降りが少なくなり、庄内川の水位が下がってきます。

それに伴って泡立ち率は10月から棒グラフの背が高くなってきます。つまり泡立ちが激しくなってきます。

しかしよく見ると雨が降って庄内川の水位がポンと高くなると、オレンジの泡立ち率の棒グラフはすとんと低くなります。

 

11月は雨が少なくて庄内川の水位が低いのですが、産卵期を迎えたアユの保護のために、水分橋で庄内川をせき止めるのをやめて自然の流れに戻すために、堀川への導水停止日が増えて、あまり泡が立たなくなっています。

しかし、11月22日のところを見てください。導水が再開して数日後の11月22日が、最高に泡立ち率が高くなり、そのあとまとまった雨が降って水位が上昇し、導水が停止したこともあって泡が立たなくなっています。

 

12月は、前半は泡が多かったのですが、後半になると不思議に泡があまりたたなくなりました。

その時は、庄内川、それもおそらく八田川に流れ込む事業所の排水などが、年末で稼働率が下がってひょっとすると減少したのかなと想像していましたが、はっきりした原因はわかっていません。




73ページの下のグラフは縦軸に庄内川の水位、横軸に猿投橋の泡立ち率をプロットしたものですが、晴天が続いて庄内川の流量が少なくなると泡立ちが多くなる傾向があることを表しています。

 

つまり、今までなんとなく皆さんが感じていた、雨が降って庄内川の水が薄まると泡が立たなくなり、晴天が続いて庄内川の水が濃くなると泡立ちが激しくなる、そういうことが、集中的な調査によって説明ができるようになりました。


本当は、水分橋のところで八田川と庄内川の本流が交わり、そのブレンド率によって泡の立ち方が違うのではないか、つまり、八田川からの水量はあまり変化はなさそうだが、庄内川本流のほうは雨が降ると一気に増水する、本流が増水すると八田川の水が薄められ、それで猿投橋が泡立たなくなるのではないか、という推測に近い仮説をもっているのですが、今回の集中調査では、そこまでの検証はできませんでした。

 

 ただ、この白い泡を発生させる水の水質、泡が立つときに橋の上まで上がってくるにおい、つまり揮発性のガスだと考えていいと思うのですが、それが本当に安全なものなのかどうか。

 現実に気分の悪くなる思いをした私としては、ぜひきちっと調べてみていただきたいという気持ちを持っています。

この件については後で触れます。



さて、次の話は、興味程度に聞いていただけばよいので、簡単に触れますが、76ページをご覧ください。

先ほどから、泡の集積(つまり泡がたまった状態)が発生するという言葉を使いましたが、76ページの写真の上が、猿投橋の滝で泡が発生する様子、真ん中の写真があわが水面一面にたまっている様子(これを集積と呼んでいます)、そしてその下が志賀橋より下流まで泡が流れ出してきている様子です。先ほどお話した11月22日、この冬一番泡立ちが激しかった日です。



この泡のたまり方にパターンがあることがわかってきました。

 まず76ページ左側の図を見てください。これは満潮に近い上げ潮時間帯で、名古屋港から上がってくる水で水位が高く、上げ潮で下流から水が押し上げている状態です。

 泡は下流からの押上げによって下流に流れてゆくことができず、猿投橋から志賀橋の間の水面に泡がたまって真っ白になっています。

下の写真は黒川橋付近で泡が上流に押し返されている様子です。



77ページをご覧ください。

これは満潮から下げ潮に転じたタイミングの様子です。

下流から押し上げるパワーがなくなり、下げ潮に転じると、たまっていた泡は、急速に下流に向かって流れ出します。

右側の写真を見ていただくと、上の写真でわかるように猿投橋で泡は発生していますが、真ん中の写真でわかるように、泡は集積せず、つまりたまっていることができなくなってどんどん画面向こう側の志賀橋の方に流れてゆきます。

泡は猿投橋と志賀橋の間でたまっていません。

78ページをご覧ください。

これは、もっと潮が下げて水位が低くなった状態です。上の写真を見るとわかりますが、滝の下には少し土砂がたまって川底が高くなっていますので、滝で発生した泡は護岸沿いに走るように流れます。左の図を見ていただくとわかるのですが、猿投橋の下流には、もう少し先に、マウンドのように川底が高くなっているところがあることが泡の流れを見てわかってきました。

水の流れはこのマウンドに遮られて渦を巻くようにもういちど上流の方に戻ってきて泡がたまり集積ができます。

護岸近くをすり抜けるように下流に流れた泡は細かい白い泡となって下流ににひろがってゆくようです。



79ページをご覧ください。

もっと水位がさがってくると、これはよく理由がわからないのですが、あわそのものがほとんど見えなくなります。

淡い泡が真ん中の写真のように渦を巻いているときもありますが、鳥がたくさん集まってくるような浅瀬やせせらぎができる時間帯になるとほとんど泡が見えなくなることが多いです。

上げ潮になって水位が上がってくるとまた泡がたまってくるのですが、本当に浅いときはほとんど泡が見えないことが多いです。



80ページをご覧ください。

干潮から上げ潮に変わって水位がだんだん上がってくると滝の下で発生した泡がマウンドを超えて細かい泡になって志賀橋の方に流れ出します。

 

これは、この冬、早朝の決まった時間帯に観察を続けた結果、少しずつ見えてきたパターンでして、毎日同じ時間に見ていても、干潮満潮の時間帯は毎日変わってゆきますので、なかなか同じ条件で同じ現象が繰り返すかどうかを完全に検証することはできません。

しかし、11月から最近までずっと見続けてきて、ほぼ間違いないだろうなと思われましたので、本日ご報告させていただくことにしました。



さて、そこで、68ページにもう一度戻ってください。

 

城北橋から猿投橋の間で気づいた左側の1から4の気づきに対して、本日、事務局として次のような要望をしたいと思いますので皆さんのご賛同をいただければと思います。

 

1. 最近のごみのポイ捨ての多さは、本当にひどくなっていると思います。
   特にコロナの問題が長引いて、市民の清掃活動がなかなか進まない中、ゴミがゴミを呼ぶ、という状態になっています。

2.  堀川や新堀川とその周辺を重点化したポイ捨て、放置、散乱等を禁止し、違反したものに過料する条例などが設定できないものか、看板などをもっと設置できないものか

 また急傾斜の護岸にごみが落ちないような何か工夫はできないものか。

 

これらは、以前第28回調査隊会議でも要望したものですが、なかなか実現がむつかしいということもおっしゃられていました。

しかし、海のマイクロプラスチックごみが問題になっている中、海に流出してしまいかねないポイ捨てごみをこのまま指をくわえて見ていてよいものかどうかという点からもぜひ何とかご検討をお願いしたいと思います。

 

ついでにご質問もしておきますが、資源ごみから空き缶を抜き取るという行為は、自治体によってははっきりと禁止されているところもあるようですが、名古屋市の場合はどうなっているのでしょうか。

また特定の人の行為だと思いますが、缶だけ抜いて残った袋を投げ捨てる行為はとても許されるものではないように思うのですが、何か手立てはないものでしょうか。

 

それから、私たちが期待してきたゴミキャッチャーが、なかなか活躍できていない現実がわかってきました。

ゴミキャッチャーをもっとうまく活用できる方策はないものでしょうか?

 

それから、ゴミキャッチャーと上流を行き来しているごみの大半が、枯草のかたまり、もっというと田幡橋から城北橋の間に植えられているヨシの枯草であることがはっきりしてきました。これが堀川の見た目を悪くしています。

汚く見える堀川にはゴミを捨てることに抵抗を感じない、いわばゴミがゴミを呼ぶ原因になっていると思われます。

もともとは、浄化のために植えたヨシだと思いますが、今のようにある程度ゴミさえなければ水はきれいになってきた堀川上流部で、浄化を目的に植えたヨシがかえって堀川のごみとなって川を汚してしまっている皮肉な結果になっているのが実態です。

また枯草は、腐って沈めばヘドロの元になり、大雨でも降ればゴミキャッチャーをすり抜けて下流や海に流れていってしまいます。

例えばヨシを刈り取ってしまうとか、適切なというか定期的な刈り取りをするなどの管理・手入れはできないものでしょうか。

 

猿投橋の泡とにおいについては、そもそもこの泡やにおいを発生したり集積したりすることを減らしてほしいとは思います。

しかし最低限、この泡が発生するような川の水の水質や、気分が悪くなるようなにおい、というかガスが安全なのか、有害なのか、最低限これだけは確認をしておいていただきたいのですが。

これらを私たちの要望として名古屋市さんに申し上げたいと思います。


 ⇒この要望に対する名古屋市との意見交換の結果はこちら





さて、最後に、堀川の生き物、特に鳥の状況について今回皆さんからいただいた情報や写真をもとに整理してみましたので、簡単にご説明させていただきます。

まず116ページをご覧ください。

堀川では、2017年7月26日に下流部でボラやコノシロが5000尾死んだのを最後に、魚の大量死が今日で1,697日間発生していません。

これ以前は、ほぼ毎年魚が大量死する事件があったことを考えると、堀川の水質がかなり改善していることがわかるわけですが、それに伴い、堀川で鳥を見る頻度が増えていると思います。

 

ただ、本当に魚を狙っている鳥だけではなく、植物を食べる鳥もいれば水面の魚を狙うカワセミ、水中にもぐって魚をとるカワウなどいろいろなタイプの鳥がいます。

 



123ページをご覧ください。

この30ステージでは皆さんにお声がけして、鳥が写っている写真を場所や時間がわかるようにして送っていただけませんかとお願いしたところ、かなりの写真が集まってきました。そのごく一部がこの写真です。

そのごく一部がこの写真です。119ページから122ページをご覧ください。

 

堀川と新堀川で鳥を見かけた場所と、その場所でみた最大の数をグラフにしたものです。

緑色のグラフは水面でえさを取るタイプの鳥、青い色のグラフは水に潜ってエサを取るタイプの鳥、グラフの高さは、その場所で調査期間中にみた最大数を表しています。

 

 そうすると、堀川でも新堀川でも場所によって、集まる鳥の種類に違いがあることがわかってきました。

 グラフの下に、それぞれの地点の特徴を書いてあります。

 




120ページと122ページは、撮影した鳥を水面でえさを取る種類と、潜ってエサを取る種類にわけて、右側の表には、それぞれの鳥がどんな食べ物をどのようにして食べているのかを整理してあります。

 

    
    



さて、119ページを見ていただくと例えば水に潜ってエサを取る種類が多くみられる田幡橋から

東田幡橋付近の特徴は、エサが水面、水中に流出移動してくる場所、とか、動植物等が護岸の水際や川底で生息、生育、繁殖し、それを捕食できる場所、であるとか、水面が広がり、右岸側が高さのある直立護岸になっていて、安全で快適な水面がある場所とかいう特徴がありました。

 

一方で、水面のエサを取る種類が多い黒川橋から志賀橋にかけては、エサが上流から流れてくる、エサが潮の干満で移動、集積する場所であるとか、動植物等が護岸の水際や(浅い)川底で生息、生育、繁殖しそれを捕食できる場所であるとか、水面がやや広がり護岸が垂直に立っていて安全で快適な水面と水際がある場所、などの特徴がありました。

 



これらを整理してみたのが117ページの表です。

堀川・新堀川で水鳥の仲間が多くみられる場所はどんなところでしょうか、という問いに対し

こんな仮説を立ててみました。

1.エサがある場所

2.飛び立てる場所があること

3.休める場所、寝られる場所があること

 

鳥が飛び立つにもいろいろな飛び立ち方があります。

117ページの左の黄色い四角の中の特徴をご覧ください。

水面でえさを取る種類は、おおむね足が体のほぼ中央にあり歩行が安定しています。

翼で水面をたたき、水柿で強くけってそのまま上に飛び立ちます。

 

一方右側の青い四角の中の特徴をご覧ください。

潜ってエサをとる鳥の仲間は、おおむね足が体の後ろの方にあるため、体が立ち気味になってしまい歩行はあまり得意ではありません。

飛ぶときは、大きな水柿で水面をけりながら羽ばたいて、助走をしながら飛び立ちます。

ですから、潜ってエサを取る鳥の多くは、飛び立つ区空間が水面でえさを取る鳥の仲間よりたくさん必要と言われています。

 

117ページのホリゴの吹き出しをご覧ください。

 

今後、水鳥たちが多く確認された場所の環境などをさらに詳しく観察・記録・整理することで、都市域の水辺に飛来する水鳥たちが好む水辺の姿が明らかになり、今後の都市部の水辺づくりの方向性がみえてくるのではないかと考えています。




このほか、もう一度2ページを見ていただくと、6.3.2 ヘドロ浚渫3年後の新堀川の変化、6.4.3.小魚の姿が見られ、透明感が感じられた緩傾斜の水際という新しい記事が掲載されていますが、時間の都合もあり、とりあえずここは後で目を通していただくことにして、とりあえずこれで、事務局からのご報告を終わります。










下記は、令和3年10月9日付で掲載した関連記事です。


事務局より   令和3年10月9日
 
   令和3年10月9日(土)に、名古屋国際会議場で開催された、第29回堀川1000人調査隊会議で

  事務局から発表させていただいた、第29ステージの市民調査の総括報告を紹介いたします。

    
  ⇒PDFデータのダウンロードはこちら



それでは、事務局で作成しました、第29ステージの市民調査の結果についてのご説明をさせていただきます。
ポイントだけ先にご説明させていただきます。


まず、一つ目のポイントです。

堀川は、長期的には、改善傾向が続いています。

ただし、この第29ステージ、つまり2021年の4月から6月は、前の年の4月から6月の第27ステージと比べて、
いろいろな指標が悪化していました。

その理由として事務局が考えているのは、気象とコロナです。


 まず気象条件ですが、今年は梅雨入りが早くて雨が多かったこと、特に一日に80ミリも降るような、
まとまった雨が何回も降ったことが影響していると考えています。


 コロナについては、外出の規制などで、堀川では船に乗るイベントがほとんど行われず、船が定期的に
堀川を走ることがほとんどありませんでした。

 足掛け2年もこうした状況が続いていて、もし船が走っていれば、スクリューで水面を攪拌し、浄化効果も
期待できたのですが、昨年から今年にかけ、特に今年は、街中の中流部で、堀川の川底の状況が
悪化している様子が数値に出てきていました。

 もしコロナが終息して、以前のように舟遊びができる状況になった時には、やはり船の運航が堀川浄化に
効果があったのか、ということが証明できるかもしれません。

 そういう意味では、今の状況を記録して残しておくことが、とても大切なことだと思えます。


次に、2つ目のポイントです。

 長期的にみて、堀川の水質が改善してきている、特に熱田区より先の下流部で、ボラなどの魚が
多く見られることが写真で記録されています。

 日食や月食のときの特別な大潮の日の一斉調査でも、過去の記録と今年の記録を比較すると、
中下流部の改善の状況がわかるようになりました。


次に、3つ目のポイントです。

 庄内川からの導水は、これまで水源のない堀川の水質浄化や、猿投橋より上流が水が枯れてしまわないように、
生き物が生息できる環境が守られるように、という観点からその重要性が考えられてきました。

 今回の報告では、導水の効果は、猿投橋から城北橋までの堀川上流部の水面の浮遊ごみを減らし、
水面を美化して美しい堀川をみせる、という点でもとても重要であることがみえてきました。

 特に導水と城北橋のゴミキャッチャーが、ゴミキャッチャーが塵取りだとすると、導水は、ほうきのような役割をはたしていて、
ほうきの役目をする導水がないと、ゴミキャッチャーだけでは十分に機能が発揮できないかもしれない、
ほうきと塵取りの力が合わさると堀川の水面がきれいになる、という事実が見えてきました。


 この点については、私が8月の下旬に発生した事件を動画にまとめた、「堀川上流部ゴミだらけ事件 観察記録と気づき」
という動画がホームページから、またはyoutubeから見られますので、後でご紹介します。


  ⇒「堀川上流部ゴミだらけ事件 観察記録と気づき」 はここをクリックするとみられます。


最後に、4つ目のポイントは、新堀川のことです。

先ほど名古屋市さんの報告でもありましたが、新堀川の浄化のための動きが、私たちの働き掛けもあって、
おおきく前に動き出しています。

また、調査隊の皆さんからの新堀川の報告も件数が蓄積されて、いろいろな分析ができるようになりました。

今日は、その新堀川がどういう問題を根本に抱えているのか、水質悪化のメカニズムは何なのか、この先、
どうしてゆくのかという点についてご説明させていただきます。



それでは、以上4つのポイントについて、簡潔にひとつずつご説明させていただきます。

ポイント1

29ステージが昨年と比べて数値が悪くなっていることについてです。

資料の32ページをご覧ください。

これは、皆さんが調査した時に最初に記入する、今日の水の汚れの印象のうち、上から3つ、
つまり、「きれい、ややきれい、とぢらともいえない」の3つを選んだ割合を時系列で並べたものです。

オレンジ色は春から夏場、青色は、秋から冬場です。


一番右側の方、昨年の56%から45%に数字が落ちていることがわかります。

長期的には改善の方向に向かっていて、昨年の27ステージは数値が良かったんですが、
今年は下がってしまいました。


33ページをご覧ください。

これは区間別にわけたものです。

4月から6月の、春から初夏だけの数字を抜き出したものです。


左上が猿投橋から城北橋、左下が城北橋から朝日橋、
右上が朝日橋から松重橋、右下が松重橋から大瀬子橋と、
上流から下流に向けて並べてあります。


目だって悪くなっているのが朝日橋から松重橋の、
名古屋市の中心部であることがわかります。

じゃ、何が印象を悪くしているのか。

それは、あわとにおいでした。


46ページをご覧ください。

これは、泡が堀川から浮いてくる割合をグラフにしたものです。

27ステージの9%から29ステージは20%にポンと跳ね上がっています。


これを区間別に見たものが、47ページです。

左上の猿投橋から城北橋、そして朝日橋から松重橋で泡の発生頻度が
ぽんと高くなっています。

私は、上流部に住んでいますので、そちらをよく見る機会があるのですが、
ちょうど北区役所から八王子中学のある北清水橋から田幡橋の間は、
川幅が急に広がっていて、水が停滞しやすく、泡が川底からぷくぷくと
湧いてくる光景をよくみます。


また納屋橋の船着き場や空芯菜のあたりでも、今年は泡が出ている光景を
よくみました。

そういった印象と、皆さんの調査結果はよく一致、符合していると思います。


もうひとつのにおいですが、50ページをご覧ください。


これは、皆さんの報告で、におう、ややにおう、ひどくにおう、の3つのケースを
まとめたものです。

27ステージの4%から29ステージは16%にポンと跳ね上がっています。



それを区間別に見たのが、51ページです。

ここでは、泡のときと違って、上流の猿投橋から城北橋間はそれほどの悪化は
見られませんが、都心部の朝日橋から松重橋は4%から32%と大きく悪化しています。

 



 48ページをご覧ください。

この泡と、においは、泡が出ているときはにおいが悪化している、という相関関係が
あることがこれまでの調査結果からの分析でわかっています。


 川底からの泡の発生とにおいは、川底に堆積した底の泥の悪化が要因に
なっていると考えられます。



 その原因の一つは、気象条件にあると考えています。

14ページをご覧ください。

 青い線が上から降りてきていますが、これが一日の降水量です。


第27ステージと比べて、第29ステージは梅雨入りが早くて、
雨の日が多かったことがわかります。


また毎月のように、一日に80mm程度も降るようなまとまった雨が
何回もあったことがわかります。


 

皆さんご存じの方が多いように、まとまった雨が降ると、堀川には
雨水と合流している生活排水が、雨水吐から堀川に流出してしまい、
堀川に汚濁物質がはいってしまいます。


それが、川底の状況の悪化に影響しているのは間違いないことだと思います。


 ⇒「堀川の水質改善のための合流式下水道の改善」についての参考資料はこちら


もうひとつ事務局が大きな原因と考えているのがコロナです。

コロナは、経済活動を不活発にさせるという点で、堀川の水質にとっては
ある意味プラスに働く面がある可能性があります。

しかし、このコロナ禍でもっとも状況の変わったのは、都心部の船の運航が
ほとんどといっていいくらいなくなってしまったことです。


 堀川に定期的に船が走ると、スクリューの回転により、水中に酸素を
送り込みますし、停滞していた川底が攪拌され、川底の泥の改善に
つながると私たちは以前から考え、観察してきました。


 イベントなどで定期船が何日か走ると、最初はいやなにおいが出てきたりしますが、
そのうち攪拌が進んでにおいを感じなくなる、ということを何度も検証してきています。


 見方をちょっと変えると、今回は逆に、船が長期間にわたって走らない堀川を
観察している、ということが言えます。


船が走らないと堀川の泡やにおいは増える、ということが今後、
コロナがおさまり船が活発に走るようになると証明されるかもしれません。

これは、これから先の研究課題になると思います。

 以上で1つ目のポイントの説明を終わります。


次に2つ目のポイント、長期的に見ると堀川の水質はよくなってきている、
という説明をさせていただきたいと思います。


今年、5月26日に皆既月食がありました。
この日は水位の変化が大きい特別の大潮になるため
たくさんの方々に一斉調査にご参加いただきました。


 その時の記録の中で、私が注目したのが95ページにある写真です。

95ページをご覧ください。

 左側の写真は今から12年前の2009年7月22日、部分日食のあった日に
撮影された写真です。

 右側の写真は今年2021年5月26日の皆既月食のあった日に
撮影された写真です。


いずれも潮が下げてゆくときに、上流からの流れと下流からの流れがぶつかって
潮目をつくっているのですが、大潮なので水が垂直状態になってまともにぶつかって、
一直線の潮目をつくっています。


手前側が上流、向こう側が下流です。

2つの写真がはっきり違うのは、下流側の水面の色です。


左側の2009年のときの下流側は、貧酸素状態を示す白濁した色をしています。

側の今年の写真の下流側は白濁していません。
つまり酸素の状態がよいことを示してます。


この10年間余りの間に堀川に生じた大きな変化です。


これは生き物の様子からもわかります。

128ページをご覧ください。

堀川中流から下流部には、今年も非常にたくさんのボラの姿が
春先から今に至るまで、ほとんど常に観察されています。

ラだけでなく、ウナギの幼魚も納屋橋で観察されています。


私自身、堀川上流部で、カワウが大きなウナギを加えている姿を
8月に2回も見かけ、動画で記録しています。

この動画については、あとでご紹介します。


またかつて毎年のように必ずあった、堀川での大量死事件、
これが2017年(平成29年)以降4年間まったく発生していません。


それ以前は、直前にまとまった雨が降って、堀川に汚濁物質が流れこんだあと、
大潮になると、川底が攪拌されたり、水位が下がって貧酸素に傾いた水中で
魚が過密状態になり、水面に口をあげて息をし始め、そのうちに死体が浮く、
ということが年に1〜2回ずつ、春先から6月くらいの間に発生していました。


この4年間は、そうした光景をまったく目にしなくなりました。


熱田区の白鳥あたりでは、地球倶楽部調査隊さんから、毎日のように
写真を送っていただくのですが、大量の魚が水面にさざ波を作って
群れている姿をしょっちゅう見られるようになりました。


これは堀川の中下流部の水質が改善していることを客観的に示すものだと
思います。


だからこそ、さきほどの大潮のときの潮目で、下流側に白濁がみられないことも
うなづけるわけです。


長期的に見て、堀川の中下流部での水質改善がすすんでいる、ということを
お分かりいただけるかと思います。


以上で2つ目のポイントの説明を終わります。


3つ目のポイントです。

庄内川からの導水の役割が、堀川上流部での水面の美化にも役立っている、
という点にあらためて気づかされたことについてです。

これは、私自身が7月以降直接目にして感じたことで、これ以降現在に至るまで、
観察をつづけていることでもあります。


108ページをご覧ください。

朝、猿投橋にいったら、大量のごみが集まっていて、びっくり仰天しました。

ほとんどは、枯れ枝や枯草でした。


この日は、前日までにまとまった雨が降っていたために、庄内川からの
導水をすると堀川が増水する危険もあることから、導水が止められていたので、
猿投橋から落ちてくる滝の水はほとんどない状態でした。


またちょうど、大潮の満潮時間帯で、強い上げ潮で、ゴミが集められて
さかのぼってきたところが、導水の抵抗がないので、猿投橋まで
押し上げられてきたものだと考えました。


右側の写真は、その日の12時頃です。

庄内川の導水が再開し、干潮時間帯にもなっていたので、
朝見た大量のごみは、すでに猿投橋にはありませんでした。


この時にたてた仮説が、大潮の満潮時間帯に、導水がとまって、
上流からの流れが小さくなると猿投橋までごみが移動して
集積するの可能性があるのではないか、という、そういう仮説でした。



そしてまた同じことが、約2週間後の大潮の日にもういちど起こったのです。

111ページをご覧ください。

左の写真、8月8日、朝、猿投橋に行ったら、またしても浮遊ごみが
猿投橋の下に大量に集積していたのです。

庄内川からの導水はというと、その前日8月7日に、上流部の稚児宮人道橋付近で、
夏休みの子供の生き物観察会があったため、導水が止めてありました。

川を浅くし、流れを緩くして子供の安全を確保するためです。


8月8日の朝も、まだ導水はとまったままでした。

結果的に導水が再開したのは8月10日のことでした。

右の写真は8月9日の写真です。
この日も導水がないので、上げ潮にのって、同じ時間に浮遊物は塊になって
志賀橋の上流までのぼってきていました。



8月10日に導水が再開したら、このごみは
猿投橋付近にはなくなりました。(写真右)


このとき、私は、単純に、このごみは大潮の強い流れと導水の助けで、
きっと城北橋のゴミキャッチャーまで到達して、全部ごみキャッチャーで
回収されてしまったんだろうと考えていました。


しかし、導水が長期間とまってしまうと、堀川の浮遊ごみは、
ゴミキャッチャーまで到達せず、行ったり来たりしているうちに
どんどん塊が大きくなり数も増えて大変なことになる、ということに
気が付かされる事件が、8月後半に発生しました。


堀川上流部には、ゴミキャッチャーだけでなく、庄内川からの導水が不可欠で
あることに気が付かされたのです。




107ページをご覧ください。

実は第28回の調査報告で皆さんに発表するつもりだったのですが、
コロナで開催できなかったため、ホームページ上だけのご報告になり、
よく知らなかったという方が多いのではないかと思いますが、

すでにそれまでの調査から、北清水橋付近では、川幅が急に広がっているため
流速が遅くなって水が停滞しやすく、水面のごみが集積し、停滞し、潮の流れで
行ったり来たりしている、という現象を確認していました。


庄内川の導水がない場合、上流部には下流に向かって押し流す力が弱くなるため、
その傾向は一層強くなると思いますが、このあと8月13日の豪雨をきっかけとして
約2週間、水分橋の導水の装置が壊れてしまって、導水がストップするという
異常事態が発生しました。


そのときに、堀川の水面は集積、停滞、いったりきたりの移動を繰り返し、
上げ潮のときに一つ一つの塊がどんどん大きく成長し、それが下げ潮のときに
バラバラに砕けて数もふえ、堀川上流部の水面がゴミだらけになる、という
大事件が発生しました。


9月2日に導水が再開し、数日を経て、9月5日にそれらのごみは、
すべてゴミキャッチャーに回収されるのですが、導水とゴミキャッチャーが、
浮遊ごみ対策、つまり堀川上流部の水面美化のために、まさに、
ほうきと塵取りのような役割を果たす、不可欠なものであるということがわかりました。


この、堀川上流部ゴミだらけ事件の観察記録は、Youtubeでご覧いただけますので、
のちほどその見方をご紹介させていただきます。



 さて最後に4つ目のご報告です。

 新堀川の浄化については、先ほど名古屋市さんからのご報告で、
急ピッチで浄化対策が検討されていることがご紹介されました。


 また、私たち堀川1000人調査隊がこの調査隊会議で、堀川と新堀川の
合流部付近と、上流部の印象が悪く、その場所は、市の調査でヘドロが
堆積している場所と一致している、できるだけ早くヘドロを浚渫してほしい、
という要望をして、それが実現するなど、大きな進展をしてきました。


 また、皆さんからの調査報告件数も増え、いろいろな分析が可能な状態に
なってきました。


 これらの分析については、113ページから116ページに掲載してありますので、
後でご覧いただくことにして、今日は、新堀川の水質改善のネックは何なのか、
ということをご説明しておきたいと思います。



117ページをご覧ください。

ちょっと読み上げますので図をながめながらご覧ください。


 浸水対策と水の汚れ方の変化について

 新堀川は、明治時代に精進川を、現在の川筋に付け替えて改修した
人工河川です。

 伊勢湾台風後には、災害復興で、全川の護岸改修が行われました。


 また、下流部の雨水を河川に自然排水できない区域には、ポンプ所を設置するなど
浸水対策が講じられました。


 しかし、流域の都市化の急激な進展に伴い、雨水の流出量が増大した結果、
新堀川の流下能力は不足し、流域の広範囲で浸水被害が発生するように
なりました。


 このような背景から、新堀川では、昭和52年(1977年)から 河道改修に着手し、
主に護岸整備と河床掘削が実施されました。


 左の図が川底を掘削する前のイメージです。


 右の図が掘削後のイメージです。
川を輪切りにした時の断面積が増えますから、流量を増やすことができます。


118ページをご覧ください。

左側の図をご覧ください。

 大雨の時、流水断面が河床掘削によって増加しました。

 護岸整備と、この河床掘削によって、より多くの雨水を流せるようになり、
浸水被害が減少するという狙っていた効果が発揮されました。


 一方で雨が降っていないときの水の流れはどうかというと、
その右側の図をご覧ください。

 上の方の矢印でしめしたところが、名古屋港の潮位の変化で
上下する水面を示しています。


 しかしながら、その下のピンクの部分は、そこに停滞して、
ほとんど動かない水域ができてしまっています。


 河床を掘削して深くしたことによって、あまり動かない水域が
できてしまったのです。


 雨の降らないときの新堀川の水源は、主に堀留などの水処理センターの放流水です。


 その量はかぎられていて、新堀川のすべての水を上流から下流まで
押し出すだけの力はありません。

つまり、新堀川は浸水対策の工事の副作用として、水があまり動かない
水域ができてしまった、


これが新堀川の水の汚れ方に変化を与えた要因です。



次の119ページをご覧ください。

雨が降っていないとき、川底には比重の重い海水が差し込みます。

 川の水には硫酸イオンが含まれています。

 この海水の入った動きにくい水の底の方に、汚れの元、つまり有機物が
雨などで流入すると細菌の働きなどで硫化物を発生させ、卵の腐ったにおいや
白濁が発生しやすい環境になってしまう、これが新堀川の水質汚濁の
メカニズムだと考えられています。


 これに対して今、私たちが考えている着目点は次の通りです。

1.有機物の流入を減らす。

    (市民:家庭から油などの汚い水を流さない 行政:合流式下水道対策)

2.新たな水源を確保する。

    (地下水や工場排水の利用が考えられています)

 3,時にはまとまった雨でザーッと洗い流す(水を入れ替える)効果も必要か



以上、簡単に新堀川の浄化がむつかしい理由、水質悪化のメカニズム、
これからの対策の考え方をご説明させていただきました。


今後の新堀川の調査のときに頭の隅に入れておいていただくと
参考になると思います。




以上で、事務局からのご報告を終わります。

後半は、ホームページから動画などのいろいろな情報を見ていただく方法について
ご紹介したいと思います。


いったん休憩を取ります。お疲れさまでした。








事務局より   令和3年2月17日
 
   令和3年2月13日(土)に、ウィルあいちで開催される予定で、中止となった、第28回堀川1000人調査隊会議で

  事務局から発表させていただく予定であった、第28ステージの市民調査の総括報告を紹介いたします。

    

     ⇒PDFデータのダウンロードはこちら

      
 まず最初に、第28回調査隊会議については、新型コロナウィルスの感染拡大防止のため
緊急事態宣言が発出され、中止を余儀なくされたことについてご報告申し上げます。

 そのため、今回はホームページ上で皆様から28ステージにいただいた調査報告や写真などの
資料を基に分析した結果をご紹介することになりました。

 ただ、これを機に、今回初めての試みとして、以下の資料のポイントを動画でご紹介する
ダイジェスト版をご準備いたします。

 出来上がり次第、ホームページにアップしてご紹介させていただきますので、楽しみに
お待ちいただければ幸いです。

   
 さて今回の報告は、第28ステージ、すなわち昨年2020年9月から12月までに皆様からいただいた
データを整理し、過去からのデータの蓄積も活用して、堀川や新堀川についての分析などを行った
ものになっています。

 本日皆様にご紹介するポイントは次の通りです。

1.「堀川が、におわない川になってきた!」

2.庄内川がにごっているときは、堀川上流部も濁り、泡も発生しやすい!


3.堀川に捨てられているごみは、一握りの限られた人がやってるものなのだろうか?


4.水の色は黒くない、水に透明感もある、でも堀川の水面が黒く見えるのはなぜ?


5.北清水橋付近に浮遊ごみが集まるのはなぜか?


6.堀川に船が定期的に走ると、堀川の川底の環境が改善! 証明できたか?


7.新堀川のヘドロ浚渫から2年。その効果は?


   さて、最初のテーマは「堀川が、におわない川になってきた!」です。

 67ページをご覧ください。

 かつて、あれほど汚くて臭いといわれていた堀川ですが、今回の第28ステージの
定点観測隊の報告では、「無臭」つまり「におわない」という報告が75%に達する
ようになりました。

 13年前の第2ステージではその割合が48%であったことを考えるとこの13年の間に
劇的な改善が進んでいます。


 私たち一般市民が感じる印象において、川がにおうかどうか、というのは、とても重要な
ポイントですから、堀川がにおわなくなった、というのは、とても大きな改善だと思います。

 なお、ここまで堀川の水質が改善されてきたのは、市民と行政が協力しながら
長期間にわたって行政の様々な施策を市民が観察し、検証し、評価して次なる施策に
結びつけてきた成果にほかなりません。


18ページをご覧ください。

 行政、つまり名古屋市の施策は、市民の声を取り入れながらその都度できることから
順番に実施されてきたものですが、現時点で振り返りながら体系的に整理をすると
次の4つの施策にまとめることができます。

1)水の汚れを減らすための対策

2)新たな水源を確保するための対策

3)川底からの悪臭・白濁を減らすための対策

4)自然浄化機能を向上させるための対策


 水の汚れを減らすための対策は主に下水道にかかわるものです。

 堀川の水域は、合流式下水道という方式になっていて、雨水と生活排水が一緒のパイプに
合流して水処理センター(下水処理場)に送られる構造になっています。

 この合流式下水道の場合、ある一定の量を超える雨が集中的に降ると下水管が満杯になって
しまうため、あふれた下水が未処理のまま堀川などの河川に流出してしまう弱点があります。


 一定以内の雨であれば、川に流出することなく下水処理場まで送られた汚い水は、
処理場できれいになってから川に放流されるので、必ずしも合流式下水道が悪いとばかりは
言えないのですが、大雨が降った時は合流式下水道の弱点が出てしまうのです。


 それを改善するために名古屋市が実施してきているのが、下水処理場の高度処理など、
放流水の水質の向上です。

 また雨天時に直接川に汚い水が流れ込むことのないように、地下に雨水滞水池を作って
一時的に汚い水をためておいて、雨が止んだらポンプでその水を下水処理場に送る施設の整備です。

 これは合流式下水道の改善事業と呼ばれています。


 堀川では、平成22年度に堀川右岸滞水池が完成し、稼働を開始してから、数年後に効果が
みえはじめたことを私たち堀川1000人調査隊がデータで確認しています。

堀川が今のように、におわない川になってきたことに、この合流式下水道の改善事業が
大きな貢献をしていると私たち堀川1000人調査隊事務局では認識しています。


そのほかにも

  守山水処理センターの下水再生水の活用、

  浅層地下水の利用といった新たな水源の確保の事業、

  ヘドロの除去や、すぐに除去できない場所に砂をかぶせる覆砂(ふくさ)といった
  川底からの悪臭・白濁を減らす対策、

  自然の川の状態に近づけるため、浅い上流部に瀬渕を作って、自然の浄化機能を
  向上させる事業など、

多面的な事業が総合的、複合的に効果を表して、今の堀川になってきたと、
私たち事務局では考えています。


 これらの事業は、この14年間の私たち堀川1000人調査隊の活動の中で、私たち市民の提案も
とりいれていただきながら行政ができることから順番に実施していただいてきたものです。


 その効果を私たち市民が検証することで、行政はよりよい事業、より大規模な事業に
発展させてきていただきました。

 今、あらためてこれらの事業を体系的に整理することで、私たち市民もより科学的に
検証を続けてゆきたいと考えています。


 2つ目のポイントです。

庄内川が濁っているときは、堀川上流部も濁り、泡も発生しやすい!


 前回の27ステージの調査時に、庄内川からの導水が濁っていると堀川に影響があるのでは、
という報告がありました。

 そこで、事務局で現地を確認し、堀川への取水口のある水分橋付近の庄内川が濁っているときに、
北区の猿投橋付近で実際に濁りや泡があったのを確認しました。


 29ページをご覧ください。

 左上の写真は、庄内川ら堀川に取水している水分橋で撮影した写真です。

 頭首工のゲートによって水がせき止められ、その水が堀川に導水されています。

 昨年12月4日に撮影した写真ですが、せき止められた水が灰緑色に濁っているのを
確認しました。


 その下、つまり左下の写真は、少し下流の猿投橋で撮影した写真です。

 投橋下には2mくらいの滝のような落差がありますが、滝の下の水は灰緑色に濁っており、
水に含まれる成分によって白い泡が発生しているのを確認しました。


 一方、庄内川から堀川への導水は、色々な事情で、時々停止することがあります。

 昨年11月17日は、ちょうど庄内川からの導水が停止した日でした。

 この日の水分橋の頭首工は水をせきとめることをしていないため、右上の写真でおわかりのように、
上流からの水の流れは画面左の右岸側に寄ってしまっており、堀川への取水口に水は溜まって
いません。

 庄内川から堀川への導水はこうしたメカニズムで停止された状態になっています。


 庄内川からの導水が停止すると、堀川上流部では水量が一気に少なくなり水が枯れてしまうと
魚などが生息できなくなってしまいます。

 堀川には、こうした生態系維持と水質浄化のために、護岸に何か所かの井戸を掘って、
浅い層の地下水を放流していただいています。

 庄内川からの導水が停止した時は、堀川上流部の水の流れは、この地下水が主となりますので、
水量は少ないものの、水質はたいへんきれいになります。


 この11月17日、導水の停止していた日の猿投橋の落差の下流では、水は透明で濁りがなく、
白い泡もたっていないのを確認しました。

 それが右下の写真です。

 このように、堀川上流部の水質は、庄内川の水質に影響を受けることを今回改めて確認を
いたしました。


 3つ目のポイントです。

堀川に捨てられているごみは、一握りの限られた人がやっているものなのだろうか?



30ページをご覧ください。

わたしたち市民が、堀川の護岸の清掃活動を繰り返し継続していると、いつも同じ場所に
同じようなもの、例えば同じ商品の空き缶、同じ種類のペットボトルなどが捨てられることに
気が付くことがよくあります。

画面左上の写真は昨年7月3日に撮影したもの。その右の写真は同じ場所で10月2日に
撮影したものです。同じような空き缶が、同じように並べられているのがよくわかります。


大多数の市民は、そういう行為をされないのに、一握りの人がやっていると考えざるをえないのです。

善意でごみを拾い、清掃活動をする人たちと、ほんの一握りのポイ捨てをする人たちの
いたちごっこを、何とか終わらせることができないのでしょうか。


そういう問題意識が提議されています。

これらについては今少し慎重に調査データを集め、問題提議と解決のための提案をしてゆく
必要があるように思われます。



4つ目のポイントです。

水の色は黒くない、水に透明感もある、でも堀川の水面が黒く見えるのはなぜ?



85ページをご覧ください。

この28ステージでは9月〜12月のデータを集計していますが、市民調査隊の報告の中に
よくみると水は透明感が感じられるのに、景色としては水の色が黒く見える、という指摘が
ありました。

85ページの写真は、地球倶楽部調査隊から数多く送っていただいた写真の一部ですが、
早朝や夕方に観察した堀川は、「またしても真っ黒けの堀川でした」という印象が添えられて
いました。


 水の色は黒くない、水に透明感もある、でも堀川の水面が黒く見えるのはなぜ?


 この問題提議に対して、事務局で仮説を立ててみました。

 堀川の水質が改善され、透明度が一段と高くなっている、でも太陽の高度は低い、
この冬場に気づいた今の堀川の事実です。


 86ページは2020年の太陽の高度について整理したものです。

 夏場に比べて秋から初冬の太陽の高度が低いのがよくわかります。

87ページと88ページは、太陽の高度の高いときと太陽の高度の低いときの
堀川の色の見え方を整理したものです。
89ページは、調査した時間帯と見えた色を整理したものです。


朝の6時〜8時台と夕方の17時〜18時台は暗い色に見えていることが
多いことがわかります。


また時系列的に見ると、堀川の透視度が高くなってきた近年、
朝・夕に暗い色が増加する傾向があることがわかります。

 

90ページをご覧ください。

事務局では、これまでのデータから、堀川では透視度が改善すると
朝夕の暗色が増加する傾向があること、

雲により太陽光が遮られると暗色になる傾向がある、ということを確認しています。


 そこで事務局で建てた仮説は次の通りです。

堀川の水が透明感がある水になると、太陽の高度が低いときに、水深方向に光が届きにくくなり、
水面が全体的に黒く見えるのではないか、という仮説。


また、太陽の光の弱いときは、水面が黒っぽい色(暗い色)に見えることがあるのではないか、
という仮説です。
92ページをご覧ください。


 左側の上の写真は、太陽の光が強い状態、
 その右側は太陽の光が弱い状態、

同じ水面でも太陽の光が強いか弱いかによってずいぶん違った色に見えることが
わかります。


 また、その下の写真は、建物や橋などで太陽の光が遮られた場所と、そうでない場所の色が
くっきりと分かれていることがよくわかります。


 水質がよくなって白濁がなくなってくると、こうした傾向がもっともっと強くあらわれるのではないか
と事務局では考えていますが、現段階ではまだまだデータが少なく仮そこまで立証できないため、
今はまだ仮説でしかありません。

今後の皆さんからの調査報告、レポートなどでそれが立証されてゆくのではないかと期待しています。


次に5つ目のポイントです。

北清水橋付近に浮遊ごみが集まるのはなぜか?


93ページをご覧ください。

北区の北清水橋付近では、水面を浮遊するごみが集積する様子がみられ、
その集積した浮遊物は、上流向き・下流向きに異動している様子が報告されています。

94ページをご覧ください。

 田幡橋からから志賀橋の間で、同じ浮遊物が行き来して、滞留する様子が
写真で記録されています。


97ページから100ページで

その様子をこれまでに調査隊の皆さんが撮影した写真をもとに整理してみました。


これをもとに、事務局で建てた仮説が95ページに書いてあります。


川幅が広がる場所があると流速が低下し、浮遊物が滞留しやすくなること、

さらに感潮区間では潮の満ち引きで浮遊物が移動・集積を繰り返す。


この仮説をこれからさらに検証し、今後の対策を行政とともに考えてゆきたいと思っています。


6つ目のポイントです。

堀川に船が定期的に走ると、堀川の川底の環境が改善! 証明できたか?



102ページをご覧ください。

定期船の運航頻度が高くなると川底の環境が改善するのではないか。

調査隊事務局では、これまでに立ててきたこの仮説を実証するために、数年にわたって
データを集めてきました。


 

101ページをご覧ください。

たまたま昨年令和2年11月に名古屋市のイベントで4週間の間に8日間定期便が
運航されました。

その前年、令和元年には2週間で5日間定期便が運航されました。


103ページと104ページはこの秋の堀川でクルーズが行われた時に撮影された写真です。


10月30日のクルーズではヘドロが巻き上がり水が濃い灰色に濁っていました。

 

しかしイベント後半の11月21日のクルーズのときはヘドロの巻き上げは
確認されませんでした。


船が定期的に運行を繰り返すことにより、こうした状況の変化が生まれました。
105ページをご覧ください。


 令和元年と令和2年の10月と12月のデータを比較すると、運行回数の多い
令和2年のほうが水質が改善している、という傾向が確認されました。


 画面左下の黄色い枠の中に書かれている通り、船の運航頻度が高くなると、
水の汚れの印象、透視度、COD、色、あわ、においが改善することを今回
確認いたしました。


106ページをご覧ください。

調査隊事務局では、定期的な船の運航によって、その水域と堆積物が
定期的に攪拌されること。

それによって定期的にその水域と川底に酸素が供給されること

浮遊物の川底への沈降や堆積が減少すること

堆積物の中の硫化水素等を定期的に解放できること

  などが期待できると考えています。


 さらにまた、ヘドロは浚渫しても、また堆積しはじめますが、
定期的な船の運航による攪拌が続けば、ヘドロの再堆積を抑制し、
堀川の自然浄化能力の回復に役立つのではないかと考えています。


船の定期的な運航というのは、一見、観光など堀川の活用の面ばかりに光があたって、
採算性などで議論されることが多いと思われますが、船の運航は水質浄化という
副次的な効果も期待できるということになれば、定期船運航の価値は、
さらに高まるのではないでしょうか。


 定期船の運航によって堀川の水質改善につながる、と結論付けるには、
まだまだ現段階では時期尚早で、さらなるデータの積み上げが必要ですが、
興味ある仮説だと事務局では考えています。


最後に7つ目のポイントです。

新堀川のヘドロ浚渫から2年。その効果は?


33ページをご覧ください。

新堀川では、私たち堀川1000人調査隊が調査し、、市民がにおいを感じていた区間と、
行政がヘドロがたまっていると認識した区間がほぼ一致していたことから、
重点的な区間の早期のヘドロの浚渫を要望し、その結果、平成29年度と平成30年度に
悪臭対策として、堀川との合流部および新堀川上流部のヘドロの浚渫が行われました。


今年、そのヘドロ浚渫後、2年が経過しました。


この2年間に調査隊が集めたデータを分析した結果、最上流部から少し下った向田橋付近で、
改善が確認されました。


左の資料は、向田橋での改善の様子です。

向田橋では、「あわ」「におい」「色」の改善が確認されました。

ヘドロの浚渫の水質への効果は、まだまだ新堀川の全区間で確認されているわけではありません。


ただ、新堀川の全区間で魚や鳥などを確認することが増えるなど生態環境には着実な変化が
みられました。

 今後の自浄作用回復に期待がもてそうです。


ヘドロの浚渫後に、においや白濁が減少し、透明度が改善した理由として、
水中の酸素を消費してしまうヘドロなどの有機物が減少したことで、
水中の無酸素の状態が改善され、それによって硫化物の発生が減少し、
白濁の原因となる硫黄コロイドが減少する、というメカニズムが
働き始めたのではないかと事務局では考えています。



以上で事務局からのご報告を終わります。お疲れさまでした。





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