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1.はじめに
本日は、堀川1000人調査隊の活動に対して、ご評価をいただき、
たいへんありがとうございました。
本日もたくさんの隊員の皆さんがご来場されていますが、
堀川1000人調査隊のネットワークで活動する、たくさんの
名古屋の市民のひとたちにとって、大きな喜びと、大きな励みに
なったと思います。
堀川は、歴史的に見ても、また環境首都なごやのこれからにとっても、
広い意味でとても重要な資源であり、堀川の浄化は、行政にとっても、
市民にとっても、とても大切な課題だと思っております。
またこれからご紹介するように、堀川を愛する市民の活動は、
とても情熱的であり、多彩であり、極めて多様で、たいへん
たくさんの人が参加しています。
また行政ともうまく連携してきており、21世紀の新しい時代の、
市民と行政の協働のひとつの先進的なモデルケース、であり、
いわば、「名古屋モデル」といってもよい事例ではないかと
私個人としては思っています。
本日の私の発表では、そういう観点からお聞きいただければ
ありがたいと思います。 |
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2.堀川1000人調査隊について
堀川1000人調査隊が始めてスタートしたのは、今から約8年前、
平成16年のことです。
しかし、今のように大規模で長期的な取り組みに移行してのは、
今から約5年前、平成19年4月からのことです。
現在活動している第3次調査隊は、2つの大きな目的をもって
平成19年4月に、165隊、2,262名でスタートしました。
その目的のひとつは、行政、すなわち名古屋市が実施した
堀川浄化の社会実験、「木曽川からの導水」の効果を、
市民の視線で検証する、ということです。
この目的は、その後、熱心な市民の調査活動により、どんどん進化、
革新をとげました。
現在では、これまであまりよくわかっていなかった、堀川の汚染の
メカニズムや、堀川の実態解明に迫る、というレベルに進化をしてきて
います。
もうひとつの大きな目的、
それは、堀川を愛する市民の輪を広げる、ということです。
第1次隊、第2次隊の水質調査活動を展開する中で、
市民の中には、「堀川の浄化は応援したいが、調査活動への
参加となると・・・」と、二の足を踏む人がたくさんいることを
肌で感じていました。
そこで平成19年からスタートした第3次調査隊では、
「堀川を応援する気持ちがある人なら誰でもOK」
「自由な立場で、自分のできることで堀川を応援してください」
「会費や義務はありません。堀川を応援して下さる方なら、
どなたでも参加できます」
このような主旨で、堀川応援隊の募集をはじめました。
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こうして、堀川応援隊を含めた堀川を愛する人の輪は、どんどん広がり、
この5年間で、約10倍。 2万人を超えるネットワークに成長を続けて
います。
このネットワークの広がりが、あとで述べますが、堀川1000人調査隊の
大きな特徴であり、また大きな力になっています。
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3.堀川1000人調査隊の特徴
堀川1000人調査隊の特徴は、大きく分けて4つあげられます。
(1) まず第1に、
堀川1000人調査隊は、官と民が協働をしているのですが、
その最大の特徴は, 「ステップアップ型協働」と、私たちが呼んで
いるものです。
行政(名古屋市)が、堀川浄化の社会実験をする、
その効果を、市民が、市民の視線で検証し、評価する。
あるいは提言を行う。
それを受けてまた行政が新たな施策や実験を行う。
それをまた市民が検証する。
こういった、官と民の間で、お互いに、きちっとキャッチボールを
続けてきていることです。
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たとえば、平成17年11月に、名古屋市は、名城水処理センターから
下水の処理水を放流する直前の工程で、凝集剤を添加し、
水中の浮遊物質を少なくする実験を1ヶ月間実施しました。
私たち市民は、その実験の効果を検証するために、
第2次堀川1000人調査隊調査隊を結成しました。
そして、凝集剤の効果で、堀川の透視度がぐんと上昇し、
実験の効果があったことを、市民の視線で確認しました。
それを受けて、名古屋市は名城水処理センターに、
本格的なろ過装置を導入することを決定。
4年後の平成22年5月にろ過設備が導入されました。
私たちは、その成果を現在確認中ですが、これまでのところ、
ろ過装置の効果が出ているのか、木曽川導水が停止した
平成22年3月以降も、名城下水処理センター近辺の透視度は
ある程度の透視度を保っていると市民調査のデータが出ています。
このように、官が実験する、市民が検証する、
また行政が実験・施策を実施する、それをまた市民が検証する、
こういう、キャッチボールを続けながら、お互いにステップアップを
してゆく、という、名古屋型官民協働は、堀川浄化に、着実な実績を
積み上げつつあり、これが堀川1000人調査隊の、大きな特徴に
なっています。
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2) 2つ目の大きな特徴は、
堀川1000人調査隊は、ホームページや一斉メールなど、
インターネットを使って、多くの人が情報を共有し、発信している
ということです。
第1次堀川1000人調査隊が立ち上がった、平成15年当時は、
まだ今ほどインターネットは普及していませんでした。
しかし、1000人、2000人規模の隊員が、情報を共有しあうのに、
電話やファックス、手紙などでは、時間も、お金も、エネルギーも、
バカになりません。
一方で、当時、堀川に関心の高い層というのは、インターネットを
あまり使わないシルバーの人たちが多かったのも事実です。
そこで、第1次調査隊を募集したときには、
たとえば隊長さんがご年配でインターネットがつかえないときは
ぜひ、お子さんやお孫さんなど、若い人を副隊長に誘って
通信係をお願いしてください、という呼びかけをしました。
これによって、1000人、2000人規模の大規模な市民調査隊が、
リアルタイムに情報を共有しながら、整然と連携するシステムが、
一気に構築されました。
一方で、このIT化は、若い世代を大量に堀川1000人調査隊に
引き入れることに成功するという、うれしい誤算にもつながりました。
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今となっては、ごく当たり前のインターネットによる情報共有ですが、
こんな現象も次第に出てきました。
というのは、堀川を愛し、堀川の活動をする方の中には、
ほかの活動、たとえば防災や防犯、たとえば地域活動、
たとえば歴史・芸術・文化という活動も、同時にしていらっしゃる方が、
たくさんおみえになります。
いわば、2足・3足のわらじをはいているわけです。
そうした人たちが、堀川を接点にして情報共有したり、
あるいは堀川を愛する人というキーワードを接点にして、
他の活動の紹介もしたい、というニーズにも、堀川1000人調査隊の
ホームページはこたえていくようになってきました。
そこから、たとえば園芸や、音楽を愛する人に広がって行ったのが、
堀川を花で飾る、堀川フラワーフェスティバルであったり、
堀川で合唱をしてみようという堀川音楽祭であったり、
ものづくりを愛する人に広がっていったのが、堀川エコロボットコンテスト
であったりするのです。
堀川を接点に情報が集まり、堀川を接点に情報が広がる、
情報で堀川のネットワークが広がり、
情報で堀川のネットワークが強化されるという、
好循環も生んできているのです。 |
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3) 第3の特徴は、堀川応援隊です。
堀川応援隊を含むネットワークは、
いまや21,000人を超えるものに成長を続けています。
堀川応援隊同志である、という接点で、連携ができているのです。
また、この連携は、まったく面倒な拘束がなく、自由でゆるやかな連携
であるのが特色です。
指示も命令もありません。
一緒にやりたい人が、一緒にやりたいときに連携すればいい。
そうでないときは、はなれて活動していればいいし、休んでいてもいい。
会費も義務も、何もない、自由でフラットなネットワークです。
こうした堀川応援隊によって、多様な市民が、
自由に、気楽に参加できる体制ができあがりました。
調査活動はちょっと抵抗があるが・・・という人も、
私は歴史ウォークのガイドなら、
私は音楽のことなら
私は写真をとることなら、
私は絵を描くことなら、といった形で、
知り合いの知り合いの、そのまた知り合い、といった人が、
どんどん活動に参加していただけるようになってきています。
そうした背景には、多くの人の心の中には、
「何か、人の役に立ちたい」という温かい気持ちがあって
そうした気持ちを持つ人に、活躍の場が提供される仕組みが
できてきている、ということのように思われます。
多くの市民団体が、人の不足、スキルの不足に悩み、
人材の確保に頭を悩ませていると思いますが、
堀川応援隊は、ネットワークを広げながら、
同時に人材の発掘、開拓という、ヒトの問題の解決に、
ひとつのヒントを与えているように思います。
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(4) 4つめの特徴は、
堀川のネットワークが、名古屋という一地方、一流域からはみ出して
木曽川や、木曽三川、伊勢湾などの流域の人たち、あるいは、
東京・大阪・広島など、他都市で活動する人たちとのつながりが
広がりはじめ、少しずつですが、より大きなネットワークに成長を
し始めているということです。
最初のきっかけは、木曽川の水を堀川にいれていただくことで、
堀川がきれいになった、ということで、たくさんの人たちが木曽川への
関心が生まれ、高まっていった、ということでした。
そして、木曽川から水をいただくには、木曽川流域や、
木曽三川など、流域に住む方々の理解が必要であることがわかってきた。
でもその理解をいただくためには、自分たちも、そうした流域の方たちの
努力や悩みを理解する、つまり、相互理解を深めないといけないことが
わかってきた。
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そういうことから、たとえば木曽地域の人たちと交流会をしてみよう、
木曽地域にみんなで出かけて行ってみよう、という形で
流域交流会が実施されるようになってきました。
堀川浄化の問題意識を出発点に、視野が少しずつ広がり、基本的には
堀川に軸足をおきながらも、流域の諸問題を、流域全体で考える、
という視点が私たちに育ってきています。
それは、とりもなおさず、市民としての新たな成長、
都市としての成熟にもつながってゆく。
そういうきざしともいえるのではないかとも思います。 |
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それでは、具体的に、堀川1000人調査隊の活動の様子をご紹介します。
4.これは、定点観測隊の水質調査の光景です。
いつ、どこで調査するかは、それぞれの調査隊に任されています。
各調査隊の調査結果は、インターネットで報告され、
事務局のサーバーに蓄積していきます。 |
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このデータベースは、希望があれば大学調査隊などにも公開して、
研究に使っていただいています。
たとえば中部大学における、堀川のにおいやゴミの研究にも
大いに役立てていただいています。
この5年間の定点観測隊の調査件数は2,500件にも及びます。
行政調査と比べて、圧倒的に多いこのサンプル数をもとにした分析。
そして、大学、企業などの自由研究隊の調査・研究で、
これまでよくわかっていなかった堀川の実態、汚染のメカニズムが
徐々にあきらかになってきました。
ということは、堀川再生のための処方箋づくりにもつながってゆくと
考えています。
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5.堀川1000人調査隊、堀川応援隊の人たちは、
こどもたちの環境学習にも協力しています。
たとえば堀川上流部では、毎年夏場になると、
近くの区役所などと連携して、堀川1000人調査隊の
いくつかが協力し合って、生き物観察会や、川遊びの
体験学習会を開催します。
昨年の夏にも、のべ10回以上、300名以上の小学生が
堀川で水辺の体験をしました。
堀川で遊んだ子供たちが、堀川を愛する大人になって、
堀川をきれいにして欲しい。
世代を超えた夢が、今の大人たちの強力なモチベーションです。
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6.堀川を学ぶための各種講演会、勉強会、現場見学会、
フォーラムも、行政と市民が協力し合って数多く開催されています。
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7.ごく一般の市民の方は、まだまだ堀川に関心が薄いことも
理解しています。
そうした人たちに、少しでも関心をもっていただくために、
たとえば環境デーなごや、鍋屋上野浄水場の開放デーなど、
行政のイベントと連携して、啓発ブースを出展したりする活動を
頻繁に行っています。
こうしたイベントへの参加は、色々な調査隊・応援隊が、
かわるがわる実施しています。
こうした折に、堀川応援隊の勧誘も実施し、
イベントを実施するたびに、ネットワークの輪は
ぐんぐんと広がってきました。
また、こどもたちに関心をもってもらうために、
「ホリゴン」というキャラクターも活躍しています。
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8.定点観測隊の調査で、堀川に浮いているごみの多くは、
陸上から風でとばされたもの、ということもわかってきました。
ならば、陸上を掃除してきれいにしたら、堀川に浮くゴミは
すくなくなるのでは?
そういう仮説を立てて、調査活動のついでに、あるいは、
みんなで一緒に、といった具合に、清掃活動の頻度が増してきました。
案の定、堀川に浮いているごみは、5年位前とくらべ、
格段に少なくなっており、それは現在の定点観測隊の
調査データでも検証されています。
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9.堀川1000人調査隊・堀川応援隊に参加する人たちは、
たくさんのイベントを堀川で実施します。
そのイベントをすること、あるいは企画し、準備すること自体が、
インターネットという顔の見えないネットワークを、お互いに顔のわかる、
心の通じ合った、あたたかい、強いネットワークに育ててきました。
今、そうしたネットワークは、木曽川流域の人たちとの間にも
築かれつつあります。
木曽川上流域との交流会は、平成20年から毎年12月に
4回の実績を積み重ねてきました。
今年3月には、岐阜県揖斐川町の人たちとも交流会を予定しています。
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10.そしてこれから
名古屋の堀川で生まれた、
官と民の強力なステップアップ型連携・協働
それを、息長く続けるネットワーク、
「インターネット」と「フェイス to フェイス」をバランスよく活用した
成長するネットワーク、
何かヒトの役にたちたい、という潜在的な人材を発掘・開拓し続ける
自由でゆるやかなネットワーク、
そして地域を超え、流域に広がるネットワーク。
堀川1000人調査隊の活動は、
多くの市民の参加と連携・努力で着実に実績をあげてきました。
市民と行政がお互いの強みを生かし、弱みを補い合って、
ステップアップしながら協働してゆく姿は、
「名古屋モデル」といってもよい、
新しい時代のひとつのモデルになるのではないのでしょうか。
いつの日か、堀川に清流がよみがえることを夢見て
これからも活動を続けてゆきたいと思います。
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ご静聴ありがとうございました。 |