堀川は名古屋市の中心部を南北に貫く川で、元杁樋門(庄内用水頭首工取水地点)より始まり、矢田川を暗渠で横断して名古屋城の西から市の中心部である納屋橋地区を通り、熱田台地の西に沿って南下して名古屋港へ注ぐ、延長16.2km、流域面積51.9km2(内、新堀川分:24.0km2)の庄内川水系の一級河川です。


堀川の開削(江戸時代)
江戸時代の堀川

堀川は、1610年の名古屋城築城と時を合わせ、福島正則によって開削されました。当時は、名古屋の街の南北軸として、城や城下町への物資の運搬路、あるいは排水路などとして機能しており、川沿いには、米、海産物、木材などを扱う商人が集まり名古屋経済の中心でした。

近代化の時代(明治、大正)
高度成長期の堀川

 大正時代までの堀川は清流であり、さまざまな催し物や多くの祭りが川を中心に行われ、人々の憩いの場としても重要な空間でした。
 しかし、次第に都市化が進み、また、工業も発達していくに従い、水質の悪化が進みました。

水環境の悪化(昭和初期)
昭和60年頃の堀川(納屋橋)

昭和時代に入ってからは、著しい市街化の進展とともに水質は極度に悪化し、また、護岸の老朽化も進みました。川岸一杯まで建てられた建物もしだいに堀川に背を向けるようになり、堀川は、市民生活の中において忘れられた存在になりました。

水質改善へのとりくみ(昭和中期〜平成)
整備が進む堀川

 高度成長期における産業活動の急速な拡大と人口の都市集中に伴い堀川の水質悪化も進みました。しかし、堀川流域の相次ぐ下水処理場の新設、増設や、昭和45年のいわゆる公害国会(第64回臨時国会)を契機とする法整備が行われたことなどにより、堀川の水質も改善してきました。
 また、近年は、都心に残された数少ない水辺空間として堀川の存在意義が注目され、平成11年には、「堀川を清流に」の20万人署名が、現国土交通省中部地方整備局長、愛知県知事、名古屋市長に提出されるなど、さらなる水環境の改善が求められています。

 

    
今の堀川の様子(納屋橋付近)

位置図

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